今朝のNHKの番組「課外授業」は宇宙物理学者の池内了(いけうちさとる)が先生。
この番組は小学校の卒業生である先輩が課外授業と称して、後輩の小学生相手に、先輩の得意分野を教材に授業を行うと言うもので、毎週土曜テニスに向かう車の中で視るのが楽しみな番組であるわけです。
池内了は大学の先生だから、先輩といっても、教師ですから、端から教えるのが仕事。
たちまち子どもたちの心をつかんでしまいます。そして車を運転中のKAIも。
いや、泡宇宙論、見事です。(宇宙はどこまでわかっているか)
ブラックホールが量子現象の裏返しそのものであることを考えると、宇宙全体の姿が泡構造であると言うのは、まったく納得のいく話です。
同書によれば、クェーサーの実体とは巨大質量のブラックホールと言うことですが、そもそもひも理論によれば、ブラックホールとは、ひものトポロジー空間を裏返しにした空間であって、ちょうど風船の内と外を逆転したような世界です。
これを理解するのに良い例があります。むかし夜店の風船売りのおじさんが、ふくらました風船の口を、中に押し込んでひっくり返してあれよあれよと言う間に、りんごができあがり、と言うのを見たことがあります。あれです。
ブラックホールと言う裏返した風船は、実際にはりんごではなく、りんごの皮^^;を見ている状態になります。物理理論も何もかも裏返しになって結局同じことをあらわすことになるのが、トポロジーのすごさです。トポロジーでは、大きさも関係ありません。トポロジーとは形の性質を問題にして形の大きさは関係ないと言うことです。ですから簡単に宇宙の大きさとプランクの大きさが同じレベルで議論できるわけです。
(クェーサーの謎)
そもそも、宇宙とは何か。
それは、人間と言う生命体にとって、生命を維持する羊水そのものであります。つまり、人間と言う生命の存在抜きにしては、宇宙を理解することはできません。
わかりにくいものいいで申し訳ない(@ウチダ先生)。
もう少し分かりやすく言えば、例えば地球とは何か、これを記述する言語を、もしわれわれが持ち合わせているとすれば、それは、「ボール」としか表現できないことと同じです。
泡にしろ紐にしろプレーンにしろ、実はみな、これは「しわ」なわけです。「しわ」とは、ベッドのシーツのしわと一緒で、人間が「しわ」として知覚できる何かです。
ですから宇宙とは何か、それは巨大な泡の表面の形をした「しわ」と言うわけです。
先の引用の例で言えば、夜店の風船を裏返すと、りんごではなく泡状のブドウの房が出来上がるのです。
量子現象とこの泡宇宙との間を渡す「橋」を架ければ、これはもう算数レベルで物理が理解できるはずです。100年後の小学校の「課外授業」が楽しみです。 KAI