January 08, 2008

松下幸之助の言葉(20)

いい意味でもわるい意味でも、幸之助は器用な人だった。

1941年12月8日、日本は真珠湾を攻撃します。以来1945年8月15日までの4年弱、日本は第二次世界大戦と言う大嵐の真っ只中を突き進むことになります。

この中にあって、軍の命令とはいえ幸之助は、戦艦、戦闘機製造の会社をつぎつぎ立ち上げます。いままでいわゆる家電しか製造したことがない人間たちが、戦艦と言う船を造り、戦闘機と言う飛行機を造りあげ、進水式、進空式までもっていったこと自体、驚異的といわざるを得ませんが、当の幸之助にとって造るものは何でもよかったのです。

幸之助は、ものづくりのための申し子として生を受け、これを生涯全うしたといって間違いありません。

しかしこれが、戦後GHQによる財閥パージの粛清に巻き込まれることになります。

 そして追求の矛先は幸之助個人にも及ぶ。同年(引用者注:1946年)六月、三井、三菱、安田、住友、鮎川(引用者注:純太くん元気ですか)、浅野、古河、川崎、中島、野村、大河内、大倉、渋沢の十三家とともに、松下家もまた「財閥家族」の指定を受け、資産を凍結されてしまうのである。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第18回、北康利、2008/1/8、p.26)

幸之助とGHQとの戦いが始まったのです。まさに時代を超えた戦いの始まりであります。 KAI

投稿者 kai : January 8, 2008 09:47 PM | トラックバック
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Posted by: zkcnxwl : April 13, 2012 10:03 AM
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