先日から産経新聞に作家の北康利氏が、松下幸之助と歩む旅「同行二人」と題する連載を書いています。
丁稚時代の経験から、幸之助は多くのことを学んだ。
そば近くで仕えた岩井虔(いわいけん現PHP研究所参与)が、ある時、幸之助に「商人の道」を尋ねたところ、大事なことは三つあると教えられたそうだ。一つは「商売の意義がわかっていること」、次に「お客様の心が読めること」、そして「相手より頭が下がっていること」。
幸之助のお辞儀は、ただ頭を下げるという類のものではない。それこそ顔が膝小僧につくほど深々と頭を下げるのだ。
それだけではない。お客が帰る際には相手の姿が見えなくなるまで見送る。そして見えなくなる寸前、最後にもう一度心をこめて深々と礼をした。それはお客に対してだけではない。記者などに取材を受けた際も同様だったという。
(中略)
また商売の厳しさについてはこう教えられたという。「幸吉っとん、これだけはよう覚えとけ。商人が一人前になるには、小便が赤くなる、つまり小便に血が混じるようなことがいっぺんやにへんないと一人前にはなれんのや」
苦労せずしてもうけることができるほど商いの道は甘くないことを、こうして彼は叩きこまれた。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第3回、北康利、2007/9/18、p.23)
この「同行二人」と言う題の意味について氏は連載第1回の冒頭に次のように書いている。
みなさん「同行二人(どうぎょうににん)」という言葉をご存じだろうか。
近年、四国八十八箇所札所巡り(いわゆるお遍路さん)がひそかなブームになっているが、巡礼者のかぶる菅笠や帷子(かたびら)には「同行二人」という文字が墨書されている。巡礼とは弘法大師(空海)とともに歩む行であり、「同行二人」とはそのことを示す言葉なのだそうだ。
(中略)
「松下幸之助」はもはや松下電器一社のものではなく、日本人全体にとっての大切な先達の一人だ。わが国の歴史において「経営の神様」と呼ばれた人間は彼しかいない。
本稿は、この松下幸之助という不世出の経営者の人生をたどっていくことで、みなさんに彼との「同行二人」を体験していただこうという試みである。
彼のとった行動と決断を追体験していただくことで、「松下幸之助なら、こうしたのではないか?」
という、人生を歩いていく上での頼もしい杖を手に入れていただければと祈るや切である。
(産経新聞、同行二人(どうぎょうににん)第1回、北康利、2007/9/4、p.28)
なんだか引用ばかりで本文がありませんが、毎週火曜日のこの連載をKAIはおおいに楽しみにしています。誠にグッドタイミングと言うかシンクロニシティと言うか、今事業拡大の決心をして大きく踏み出そうとするところです。いままでであれば頭を下げたくなければ下げないで済ませることでやってきましたが、これからはそうはいきません。
以前前職の上司に「KAIくん、人に頭を下げると思うな、人をお金と思って頭を下げればいいんだ」と何度も諭されたことがありました。しかしKAIは、これができません。心の底から頭を下げられる人と思わなければ、KAIは頭を下げることができません。
そう言う意味で、KAIにとって幸之助の言う「商人の道」はまだまだ遠くて険しい道と言わざるを得ませんが、今KAIが大きくなるために、これが自分に一番欠けていることであることも分かっています。
これはしばらく松下幸之助と、「同行二人」で行に歩くしかないようです。 KAI