May 24, 2007

心の再自然化

秀逸で示唆に富んだ論考である。

なるほど「心の再自然化」とは、KAIの最重要研究テーマである「自己組織化アプリケーション」の本質を見事に説明しているではありませんか。

 これまで、
 ・「わかる」ということは、より細かくすることによっては生まれてこず、より詳しくすることによって生まれてくるものであるということ、
 ・「わかる」ということは、すなわち、人間が自然から不変項を見つけだすということ、
 ・そのような不変項を発見する過程を計算プロセスと呼ぶことによって、不変項を発見することを助けるように自然現象を作ることが可能であるということ、
を見てきた。
 すなわち、自然も計算であるという立場を説明し、その自然が脳に特別なパターンを生じさせて、わかるという状態に導く「プログラム」を自然の側に与えようというものであった。
 ここでいう脳に特別なパターンを生じさせるというのは、心のダイナミクスという観点である。人間の主観的な感覚、クオリア、エピソード記憶、そういったものを深く考えれば考えるほど、物質世界には投射されない心の世界があるように議論されることがある。唯心論というのはその極端な立場であるし、そうした唯一な心があることが、脳を特別なものと見なさせ、自然現象の中に特権的な位置を与えている。
 しかし、われわれの提案する計算理論は、心こそ自然現象と考え、心を揺らがすようなパターン、言葉、風景といったものを入出力として、わかるというパターンを心の中にダイレクトに立ち上げようというものである。そういう側面をわれわれは、心の再自然化と呼ぶのである。
Natural Intelligence──計算プロセスとしての自然現象鈴木健の天命反転生活日記

鈴木健さんと言えば、昨年8月のエントリー2045年の情報社会にも登場して、同じような話の展開になっていますが、今回のこの「心の再自然化」と言う言葉で、その展開がより具体的にイメージできるようになります。

つまり、健さんが天命反転住宅と言うプログラムによって、このブログの文章を生み出したように、自己組織化アプリケーションの世界でも、ソフトウェアオブジェクトとは、人間によってインプットされその結果をアウトプットする関数としてのプログラムととらえるのではなく、人間オブジェクトにダイレクトにインプットして、その人間オブジェクトのアウトプットをダイレクトに受け取る存在としての、そう言うプログラムがソフトウェアオブジェクトと考えるわけです。

最近、MVCモデルが着目を浴びていますが、これをKAIは20年来試行錯誤の中で実際のアプリケーションに適用して、いまや2000台以上のユーザーがこの環境で業務を行うまでに至っています。

わかるとは、エントロピーの縮退現象です。

未来社会においては、この縮退がこの2000台単位で組織的に実現するわけです。しかもこれが自己組織化、すなわち人間オブジェクトがソフトウェアオブジェクトを生み出し、ソフトウェアオブジェクトが人間オブジェクトの振る舞いを左右する、その一連の流れ自体の中の縮退が起きて、アプリケーション環境下の人の心が、アプリケーション環境と言う自然の中へ再び組織化されていくわけです。

コンピュータを得た人類は、自らをその自然としてのアプリケーション環境に組み入れることで、トポロジカルに自らの姿とアプリケーションをモーフィングがごとく姿を変えながら、不連続的にそれを縮退させ、わかるという知の構造の連鎖を編み続けるのです。 KAI

投稿者 kai : May 24, 2007 11:53 PM | トラックバック
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