二つの記事を読んで、Second LifeについてKAIが抱いていた漠然とした不安の正体がやっとわかった。
二つの記事とは、「Second Life」の記事が急増中,ちょっと違和感ありと言うITProの記事と、この記事に紹介されている、ITmediaの岡田有花記者のSecond Life“不”人気、7つの理由。
両方ともSecond Lifeに対する記者個人が持つ違和感をベースに、Second Lifeの今後の展開を探っている。
そもそもSecond Lifeとは、「ゲーム」である。経営もゲームといわれることがあるけれど、このゲームとコンピュータの「ゲーム」はまったく別物です。
実はSecond LifeにKAIが抱く漠然とした不安の正体とは、この似て非なる二つの「ゲーム」とゲーム、この二つの混同に対する不安でした。
3年近く前にゲーム業界沈滞打破パート3と言うエントリーにも書きましたが、コンピュータ「ゲーム」の面白さはそれがいかにリアリティを持っているか、現実をいかにシミュレーションできるかにあります。
その意味で、逆にSecond Lifeの魅力はここにあると言えるわけですが、では現実のゲームと何が違うのかです。
それは現実のゲームは、知(言葉)に対しては行動と言うリアリティが担保し、精神は肉体と言うリアリティによって担保されているけれど、Second Lifeによってシミュレーションされる現実には、何の担保となるリアリティも存在しません。
そもそもSecond Lifeのようなコンピュータ「ゲーム」のリアリティは、一体何で担保されているのかと言えば、上のエントリーにも書いたように、それは「ゲーム」の「ルール」による以外何者でもないのです。
これをmixiなどのコミュニケーションネットワークの「ルール」と同一視して、まったく別次元の「ルール」を「ゲーム」の「ルール」に適用する愚を犯そうとしているのが、まさにSecond Lifeと言う「ゲーム」の本質です。
現実のゲームの中の犯罪は、現実のリアリティの中で処罰されますが、「ゲーム」の中のそれを現実の「ルール」によって断罪することが不可能であることを考えれば、この本質は簡単に理解できます。
これはあくまで「ゲーム」である。
この一線を守らない限り、Second Lifeに未来はありません。 KAI