昨日引用した永井俊哉ドットコム論文編の中に面白い一篇があった。
ワイン愛好家は意中のワインを飲みたいと願うし、恋人はお互い抱きしめ合おうとする。物理的接近を伴わない場合でも、私たちは何かを愛する時、主客の対立を忘れ、対象に自己を見出し、対象と一体になろうとする。これも愛において幅広く見られる特徴であり、後で述べるように、恋人を愛することも、他者の中に自己を見出すことなのである。狭義の人格的愛に特徴的なのは、次の三番目の項目である。
(中略)
ここから、私は、嗜好としての愛から区別された狭義の愛の本質は、他者を媒介として自己の存在を確認するナルシシズムにあると主張したい。
(愛とは何か)
この愛することとは「他者の中に自己を見出すこと」とする永井の主張は、このKAIの人生ながいあいだの実感と、きわめてよく符合します。
これをナルシシズムの範疇とするかは異論があるところです。なぜなら人は宇宙をはじめとして今肌を触れ合う恋人と言う他者さえも、自己と言う人の内にしか存在しないからです。
であるならば万人みなナルシストと言うしかありません。
そうではなく、自己の存在確認は、確かに自己目的でありながら、愛する他者にとっても自己の存在確認と言う、二つの重なり合う心の共鳴事象なのです。
一方的な偏愛が、いま考慮すべき愛と似て非なることからしても、これはあきらかです。
さてコーチのネモト君相手にへとへとテニスを終えて、うちに帰ってきて大量の洗濯。
その合間についつい続けて観てしまった二つの映画に、不覚にも二本ともぼろぼろ涙を流してしまった。
続きは明日^^;。 KAI
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Posted by: pilsqehvnmg : May 5, 2012 01:29 AM