西部邁が2/5付け産経新聞のコラム「保守再考」に、女の言葉は換喩であり男の言葉は隠喩であると書いている。
なぜかこの一文が気になって、いまだ記事のある紙面を持ち歩いていたのですが、昨日のこのBlogのエントリーを書いていて、繋がりました。
この換喩と隠喩、これを非常にうまく説明したBlogがありましたのでこれを引用します。
隠喩、提喩、換喩の構造上の違いを記号化すると、次のようになる。
隠喩 {a,x,y,z...}/{a,b,c,d...}
内包的提喩 {a}/{a,b,c,d...}
外延的提喩 {a,b,c,d...}/{a}
換喩 {a}/{f(a)}
スラッシュ(/)の左側は、シニフィアン(表現)、右側はシニフィエ(表現されたこと)とする。各アルファベットは属性を表し、{} は各属性を内包する集合(類や種)を表すとする。隠喩では、シニフィアンとシニフィエは、aを共有するだけである。内包が多いほど、その集合は特殊で外延が狭くなるので、{a}/{a,b,c,d...}は類/種の関係を、{a,b,c,d...}/{a}は種/類の関係を表している。例えば、「ご飯」の場合、“a”に「食事」、“b”に「稲の種子」、“c”に「煮物」などを入れて理解してほしい。換喩に関しては、再びパトカーの例を使うと、「xに乗った人」という命題関数をf(x)、「パトカー」という定項をaとすると、シニフィエがf(a)であることが理解できる。
(永井俊哉ドットコム論文編 比喩で深層心理を探る)
なるほど換喩とは、対偶ではない順序が逆の論理、すなわち叙述、非論理こそ真骨頂と言うわけです。まさにアンビバレントそのものです。
これに対して隠喩は、まともな推論の論理過程にあります。(ただ次元問題は必要です)
西部が先のコラムに、女の換喩が変調をきたしていると述べていますが、音声による換喩(すなわちテレビ映像を含む)と言うレトリックに、ただ人は騙されても、ブログをはじめとした文字情報におけるこの換喩と言うレトリックは、いかにも通用しません。この結果が女の換喩の、変調の原因であることは間違いありません。
そしてこの結果が、女が産む機械として機能しなくなった原因であると、きわめて簡単に男の隠喩が機能し始めるのです。 KAI