January 27, 2007

冤罪を許しては絶対いけない

この記事を読むまで、本人がやったと言うんだからしかたないよな、と思っていたがとんでもない間違いでした。

富山県警誤認逮捕の男性「身内が認めたと迫られ自白」

罪を犯してもいない人間が逮捕される。これだけでも恐怖であるけれど、その後無条件に3週間留置場に留め置きされ検察、裁判所を手錠につながれてつれまわされ、起訴期限ぎりぎりまで自白を強要される様は、終戦直後から20年間続いた冤罪大量生産時代を彷彿とさせます。

当時がどうであったか知る由もありませんが、今の時代の警察、検事の状況は、おおよそ想像がつきます。

そもそも彼らが、犯罪と言う事象からリアリティそのものを喪失しはじめているのが原因ではないのかと、KAIは強く思います。

もう少しわかりやすく言うと、罪を憎んだり義憤にかられて彼らは仕事をやっているのではなく、ただ単に各警察署に割り当てられた犯罪の種類別検挙目標件数と言うノルマを達成するためだけの、ロボットと化しているのではないかと言うことです。

これは、以前記号と意味、その意味の力を取り戻す社会とはに書いた児童相談員と一緒です。

なぜそうなってしまったのか、どうすればいいか。もちろんこれは重要ですが、もっと重要なことは、これをこの前掲の記事以外メディアが取り上げないことです。

ジャーナリスト宣言などと言う言葉がいかに空虚であるか、この一事をとってもあきらかです。

つまりメディア自体も、ニュースそのものからリアリティを喪失しているのです。

ノルマとしての社説など、もうよろしいのではありませんか。それよりなにより、メディアしか救いの手が及ばない人々に手を差し延べると言う、ジャーナリスト、ジャーナリズム宣言をゴシックで掲載されたほうが、よろしいのではありませんか。 KAI

投稿者 kai : January 27, 2007 04:16 PM | トラックバック
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