人はなぜ働くのであろうか。
もちろんこの問いにとりあえず容易に答えることはできる。
しかし、今朝早朝のNHKの番組は、KAIにその意味を明確に教えてくれた。
藍師、佐藤昭人。その息子、同じく藍師好昭。番組の中でこの二人の親子はただの一度も会話しない。しかしこの二人はひたすら、藍染の原料「すくも」を作り続ける。
藍染は、この緑々とした葉っぱのタデ科の藍を夏場に収穫し、これの発酵を繰り返し作り上げた「すくも」が、染料となる技法です。
新日本紀行ふたたびと言う番組に出てくる藍師佐藤昭人は、1977年、30年前の新日本紀行と言う番組に登場する。同じ画面に当時15歳であった好昭も出ていて、父のもとでけなげな姿をみせていた。
ところがこの二人にいまや会話がない。この異様な画面の中に、KAIの父親との確執を思い出しました。
校長と言う教職者でありながら破綻する私生活に、思い切り反発したKAIの青春。ただ一度京都の予備校に訪ねてきた父親と、まるで会話もなく賀茂川沿いのバス停でバスに乗るときの「がんばれよ」との一言に、なぜか思い切り涙した。以来結婚するまでまるで会話のない関係を続け、脳梗塞で倒れた父親に、やっとこの男を許そうと思った。
人はなぜ働くのか。
それは、それしか道がないからです。
KAIの父親も、藍師昭人も、そうです。そしてその息子の好昭も。
藍師昭人は、その意味で厳しかった。厳格であったわけです。これが息子には理解できない。600年の家業を継ぐ意味が、息子には理解できないのは当然です。しかし意味が理解できないけれど、この身体がしっかりと藍師の業を引き継ごうとする。
この3月3日、KAIの親父の7回忌です。
父の仕事とはまるではなれた場所にいて、やっと親父の気持ちが理解できます。この仕事しかないのだと言うことを。 KAI