今日は二十四節句のひとつ清明なんだってと、黙々と歩くリキに話しかけてたら、なにやらツツジの生垣が目に騒がしい。近づいてよく見ると生垣の表一面、赤みがかったツツジのつぼみだらけ。
う〜ん、季節は初夏に向かって一直線。
このリキは当然理解していない清明と言うのは、二十四節句の中でもあまり聞かない名前です。清明の清は清々しい、ならば明にも明々しいって言うのがあるのかどうか、ググってみたらありました。「街頭も明々しい光を燈していた」「太陽が明々しい憂鬱の色をしたまま」「この明々しい照明のお店」。
つまり清明とは、清々しい空気と明々しい太陽のセットのことだと言うわけです。すなわち、空気と太陽、この二つはまさに生命の源です。おまけにいえば、セイメイ(清明)とセイメイ(生命)がツツジのつぼみとなって繋がっていると言うわけです。
と言うわけで、今朝の散歩はなんだか得した気分で、るん、るん、るん。 KAI