人が仕事をする意味は、その行為自身か、行為の評価か、行為の結果か、それらの複合的意味を持ちます。この複合的であることがそもそも重要であって、これらはそれぞれ単独に切り離すことができないと言うことを、一番初めに理解する必要があります。
私を麻雀と合気道ばかりやっているお気楽大学教授だと思っている人はゼウスの雷撃に打たれるであろう。
(ウチダ先生のBlog)
とは至言です。流氷の、見える部分だけを見ていてはタイタニックがごとき大きな過ちを犯します。
企業の位置づけと言うセット(集合)が、従業員の家族の生活まで含めセットの時代はいざしらず、個人のセットのほうが企業のセットより大きくなってしまった現在、企業と言うセットにおける仕事の評価は、何の価値も持ちません。
ここで意味を持つのは、企業と言う絶対軸を捨てた、つまり世間こそ本来の自分の味方であることに気付いた、仕事と個人のセットの関係に気付いた、いまそこにいるきみら、きみらがこの事実つまりリアリティを根拠に、行動するかどうかです。わかりにくくて申し訳ない((C)ウチダ)。
人はなぜ仕事をするのか。それはその仕事が楽しいからであります。
これ以上の(もちろんこれ以下の)理由は、ありません。
ここに究極の真理があります。これ以外はすべてハウであると言う、真理です。
ここまで書いて、マティーニ3杯。とりあえず公開。 KAI