アプリケーションにおける内なるもの、外なるものを理解する前に、そもそもアプリケーションとは何であるか考えてみると、不思議なことに気づきます。
アプリケーションとは、当然テレビを漫然とながめているのと違って、人が能動的にこれを操作することで初めて機能するものです。ほとんど自動でやってしまうアプリケーションでも、どこかに人間の操作が介在する部分があります。そうでなければHALになってしまいます。この人が介在する部分を、アプリケーションの側に立ってながめると。
アプリケーションの立場から見た人の操作とは、実は、アプリケーションの機能の一部ではないかと言うことに気づくわけです。アプリケーションは、まだまだ利口ではありません。そこでアプリケーションは考えたわけです。知恵が必要な部分は人間にやらせようと。この結果は、てっきり主人は人間だと思っていたものが、実はアプリケーションこそ主人だったと言う、ウソのようなホントの話だったのです。
こんなことを考え出していたら、まるでシンクロニシティ。Ringoさんのエントリー人工人工知能(Artificial Artificial Intelligence)からの引用です。
「単純な、ちょっとしたコンピューターにはできないタスクをやって、お金をもらおう。」「すきなときに好きな仕事を選んで働いて、いくらもらうかも自分で決めよう。」ちいさなタスクというのは、たとえば「その写真に人間が写ってるかどうかをチェックする」といったようなことだ。これを人間がやる。たとえば1枚写真をチェックしたら10円もらえる、といったようなことだ。
そのちいさな労働力を、Amazon WebAPIを通して、プログラムから利用できるようにするところが味噌だ。アプリケーション開発者は、ほかの人に仕事をさせるために、関数呼び出しをする。
実はこれこそアプリケーションの本質ではないかと言うことです。人は、その内なるものを、アプリケーションと言う外なるものによって具象化した結果、アプリケーション自体が内なるものとして人を内部に実装し始めたのです。この項つづく。 KAI
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Posted by: ujniecn : June 6, 2012 04:35 AM