帰りの飛行機の席がちょうど窓際で、シアトルから東京まで昼間の飛行であるため、ずっと外を見ていました。景色より気になったのが、飛行機です。飛行機の翼が、離陸のときから微妙に調整され、着陸まで、何度もその様を変化させる景色は、最後の最後まであきさせませんでした。
国内便では毎週のように乗っていてまったく気にならなかったのに、今回なぜか気になるのは、シアトルでボーイング社を訪れたことが原因かもしれません。(ボーイング社はストライキで中に入れませんでしたが)
宇宙飛行士の野口さんが小学校の卒業文集に将来の夢を宇宙パイロットと書いたのと同じように、筆者も小学校の卒業文集にエンジニアとカタカナでかっこよく書きました。そして今筆者はエンジニアになりましたが、まさかソフトウェアのエンジニアを想定していたわけではありません。
エンジニア指向は、母ゆずりです。以前のエントリーで書いた母は、鬼^^;ではなくある意味アーティストです。その母が、ある日小学生である筆者のために、土蔵にしまってあった木製の織機をつぶしてベッドを作ってくれました。そのプロセスのすべてを目撃していた筆者が、母の姿から強烈な印象をうけたことを、今も鮮明に覚えています。
ものを作る楽しさこそエンジニアのすべてです。
今乗っている飛行機を作れと言われれば、才能は別にして、昔の筆者であれば何の躊躇なくとりかかったとことと思います。しかし、今の筆者には、正直言ってこの気力が残っていません。
何百人と言う人の命を預かる飛行機を設計し、完成させるには、やるべきことが山のようにあります。今の筆者には、この「山のように」あることが、手に取るように見えています。若い時はそうではありませんでした。いえ、つい12年前までそうではありませんでした。12年前、データベースエンジンの開発がいかに大変なことか、この12年間でやってきたことを、最初から知っていれば、この開発を自ら手がけることはありませんでした。
知らないと言うことはある意味、幸せです。
知らないからこそやってみたいと言う気力が湧いてくるような気がします。知ってしまうとその大変さばかりが先に立って、チャレンジしようと思わなくなるのは、歳を取った証拠です。哀しいかなこれは認めざるを得ないと思いながら、久しぶりのユーイチ君のマティーニがウマイ。 KAI