「情報の哲学」としての自己組織化
しばらく間があいてしまいましたが、今回は、最初に本日の産経新聞正論に「深めるべきは根元的な「情報の哲学」」と言う題で掲載された東大教授西垣通氏の論文を取り上げます。内容を独断的に要約すると次のようになります。
ITによる社会生活の変化が何をもたらすか考えると、記号情報による意味情報の伝達効率ばかりが重視され、意味解釈における人間のモノクローム化、ロボット化が懸念される。こうならないために、情報現象を根元的にとらえ直す「情報の哲学」が求められている。
今、私たちは、溢れかえる記号情報の海の中で、これをどのように生きればいいか、一人一人が指針のないまま、迷走を続けています。この結果、同じ記号は同じ意味を表す、同じ現象なら原因も同じ、同じ記号と同じ記号をつなぎ合わせていく、記号の類似性による推論と言う論理にならない論理によって、無意識のうちに行動が支配されているのです。これは、記号という環境への生物としての適応反応そのものと、私は考えています。未成熟な情報単細胞生物がそこら中で増殖を続けている状態です。
私たち生き物は、この環境への適応プログラムを、生き物が誕生して今に至るまで何億年という長い時間を掛けて、遺伝子の中に記述してきました。この適応と言う進化のメカニズムを解き明かす良書「創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク」の中の冒頭に以下の記述があります。
二〇〇〇年八月に、日本の科学者中垣俊之が、粘菌というアメーバのような有機体を訓練して、迷路の最短経路を見つけられるようにしたと発表した。中垣は脱出可能な経路を四通り持った小さな迷路の中に粘菌を入れて、出口の二つに食べ物を置いた。粘菌はとんでもなく原始的な有機物で(そこらのカビの近い親戚だ)、中央に何ら脳を持っているわけでもないのに、食料までの一番効率のいい経路を描き出し、自分の体を迷路の中で伸ばして、二つの食物のありかを結ぶようにした。目に見える知覚リソースまったくなしに、粘菌は迷路パズルを「解いた」わけだ。こんな単純な有機体のくせに、粘菌はびっくりするほどの知的な歴史を持っている。中垣の発表は、粘菌のふるまいの精妙さに関する長い一連の研究調査の中で、最新のものの一つでしかない。比較的単純なコンポーネントを使って高次知性を作るシステムを理解しようとしている科学者たちにとって、粘菌はいつの日か、ガラパゴス諸島でダーウィンが観察したフィンチや陸ガメに相当するものと考えられるようになるかもしれない。
この粘菌の知性を司るのが、いわゆる自己組織化ですが、西垣氏の求める「情報の哲学」を、この自己組織化ですべて説明できる、と言うのが今回の私の直感です。
この本の中に、更に次のような記述があります(p.126-127)。
だがわれわれの知るウェブが、創発知性よりもカオス的な接続に向かいがちだからといって、その傾向がすべてのコンピュータネットワークに内在するわけじゃない。今日のウェブの根底にある想定をいくつかいじることで、都市の自己組織的な近隣や、人間の脳の差別化された半球を真似られる可能性を持った別のバージョンは作れるし、アリのコロニーが持つ集合的な問題解決は間違いなく再現できる。ウェブは本質的に乱雑なわけではなく、そう作られているだけだ。その根底のアーキテクチャを変えれば、ウェブはティヤールの夢見た集団思考が可能になるかもしれない。どうすればそんな変化がもたらされるだろうか? デボラ・ゴードンの収穫アリを考えてみよう。または、ポール・クルーグマンのエッジシティ成長モデルでもいい。どちらのシステムでも、近隣同士の相互作用は双方向だ。巣作りアリと食料調達アリが出くわしたら、食料調達アリも何かを記録するし、巣作りアリも何かを記録する。既存商店の隣に開店した新しい店は、その店の行動に影響を及ぼし、その店は新参店の行動にも影響を与える。これらのシステムでの関係は相互的だ。あなたはご近所に影響を与え、ご近所はあなたに影響を与える。すべての創発システムは、こうしたフィードバックから作られる。高次の学習を育む双方向接続が要るのだ。
皮肉なことに、ウェブに欠けているのはまさにこのフィードバックだ。
正にBlogにおけるトラックバックこそ、このウェブに欠けているフィードバックの仕掛けと言えます。果たして、トラックバックと言うフィードバックの仕掛けを獲得したBlogによって、インターネットは集団的知性というネットワークを形成することができるのでしょうか。
さて、それはさておき、この記述から、自己組織化には、組織(ネットワーク)の中で、組織を構成するコンポーネント同士の互いのフィードバックが必須要件であることが分かります。こういった自己組織化の仕掛けが情報哲学を説明するキーワードになるのですが、時間切れでとりあえずアップします。以下次回です。 KAI