梅田さんがBlogインターネット時代をリードできない「PC世代の限界」で、その昔123を開発したミッチーケイパーと、彼が開発中のチャンドラーを取り上げています。
「この試みと、GoogleのGmailとを比較してみるといい。世代間で根本的に発想が異なっていること、チャンドラーと比較してのGmailの斬新さが、よくおわかりいただけるであろう。Mitch Kaporには、インターネットの「あちら側」に情報マネジャーを置くなどというパラダイムシフトは発想できない。これが「PC世代の限界」なのである。Mitch Kaporには、Googleに居る連中に代表される若い世代の持つインターネット観は、醸成されていない。」
ミッチーケイパーと聞いて思わずコメントしてしまいましたが、これは「世代の限界」と言った問題というより、「時代の必然性」だと思います。
その時代、時代の特定の機能実現のための最適環境というものがあります。例えばメモリーが大量に安く利用できる環境が整えば整うほどストレージというものがメモリーにシフトしていくとか、通信環境がより高速の常時接続が実現されることでLANとWANの境目がなくなり、ストレージだけでなくCPU自体がネットワーク化していくとか、そういった最適環境の中で植物や動物が繁殖していくがごとくアプリケーションというものが開発されていくのだと思います。
渡辺聡さんがGmailを読み解く(2):技術的可能性で書いているのも、
「個人的な話になるが、プライベートメールの主環境をISPの提供するウェブ環境に移行して一年ほどになる。アクセスするマシンを選ばなくなったので、マシンの買い替えや出先でのチェックが実に気楽になった。マシンが突如クラッシュしてもメールに関しては別段困らない。スケジューラーなどローカルマシンのアプリケーションに依存しないものは、確実にウェブ上に移ってきている。」
正にこのことです。
Webで管理しようという発想からではなく、Webで管理する方が便利だから、ということではないでしょうか。
この時代の変化が速ければ速いほど、当然異なる最適環境が混在することになるでしょうから、最適解も一つではないでしょうし、やがてそれらが、時代とともに一つに収斂していくというのが実態ではないかと思います。 KAI