国際政治学者三浦瑠麗氏はなぜ、橋下徹の言うことを理解できないのでありましょうか。
今回のテーマは、この問題について考えてみたいと思うのであります。
と言うことで、まずは三浦氏の言い分は、こちら。
橋下さんの発言について、私が申し上げたかったことは2つ。1つは、慰安婦問題の中でも、特に南洋における事実認識が違うこと。もう1つは、氏の慰安婦問題の提起の仕方に問題があったことによって維新への期待が萎み、日本政治にマイナスの影響を及ぼしたことです。慰安婦問題をめぐる議論が、「強制性」の解釈や、軍の「組織的関与」の有無に偏っていたとの問題意識は共有します。問題の本質は、慰安婦制度を含む戦場における性暴力であるとの点も異議はありません。しかし、であるからこそ、氏の「他国も同じようなことをしていた」という発言は、これまで語られることの少なかった南洋の悲惨な実態を思うと、正当化できないのです。
(国際政治学者・三浦瑠麗「橋下さん、維新の可能性を潰さないでください」)
慰安婦問題の提起から生じた一連の経緯で、橋下さんと維新運動への期待は萎みました。仮に橋下さんの意図が慰安婦問題をめぐる「国際比較の必要性」にあったとしても、世論はそうは受けとらなかった。「(兵士に)休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのはこれは誰だってわかる」との発言や「(沖縄で米軍は)もっと風俗業を活用すべき」との発言とセットで解釈されたからです。そこに悪意ある切り取りが存在したことは否定しません。ただ、そこは政治家としての結果責任を見ざるをえないと思うのです。「私が申し上げたかったことは2つ。1つは、慰安婦問題の中でも、特に南洋における事実認識が違うこと。もう1つは、氏の慰安婦問題の提起の仕方に問題があったことによって維新への期待が萎み、日本政治にマイナスの影響を及ぼしたこと」と言う、彼女の指摘が、一見まともに見えるのでありますが、よくよく考えてみますと、これは奇妙な論法になっているのであります。
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すなわち、彼女の論法によれば、橋下徹の「間違った事実認識」および「間違った問題提起の仕方」がまずもって議論の前提にあり、これから導かれた「維新運動へのマイナス効果」を問題視するのだ、との論理立てになっているのであります。
そうです、本来、「間違った事実認識」も「間違った問題提起の仕方」も、論理の前提となるものではなく、立証されるべき結論となるべきものであったのであります。
しかも、これらの「前提」から導かれたとする「維新運動へのマイナス効果」でさえ、問題提起の仕方が間違っていたからのマイナス効果であることも、ものの見事に立証はスルーされているのであります。
ここで橋下発言当時のことを思い起こしていただきたいのでありますが、あるテレビ番組の1場面であります。
コメンテータ全員が、橋下発言問題ありの札をあげる一方、視聴者アンケートでは、8割方の人々が、問題なしと答えていたのであります。
もちろんこれは視聴者アンケートでありますので、なんら問題なしが立証されたものではないのでありますが、三浦瑠麗氏が言う問題あり、間違いも、これまた立証されたものではないのであります。
しかしなぜ彼女は、これらを問題あり、間違いとかたくなに決め付けるのか、むしろ問題であるのは、こちらの問題なのであります。
と言うことで、やっと今回のテーマの本筋にたどりつくことができたのでありますが、三浦瑠麗氏にとって慰安婦問題とは、正しく理解することができない「概念」であると言う、そう言う問題として考えていく必要があるのであります。
そこで、あらためまして、このKAI_REPORTで書いてきました、以下のエントリーをお読みいただきたいのであります。
「概念」とは、なぜこれを獲得できない人がいるのか?(パート2)
最初のエントリーは、概念を獲得できない理由が「概念形成」問題にあるとし、予想インフレ率と言う概念がいかに正しく獲得できなかったかについて考察したものであります。
同様に2つ目のエントリーでは、中韓における歴史教育のあり方の違いが、両国の国民の国家概念の形成に大きく影響を与えていると言うものであります。
そして今回のパート3では、三浦瑠麗氏の慰安婦問題と言う概念形成に影響を与えているものとは、それが「タブー」であったことを、これからここでご説明したいと思うのであります。
みなさんご承知のように、大阪府政において、タブーそのものであった同和問題、在日問題、自治労問題に果敢に切り込んだのが、かの橋下徹であったのであります。
慰安婦発言もまた、国政においてタブー化していたこの問題について記者からの質問を受け、橋下流に切り込んだものであったのであります。
こんな中にあって、三浦氏の慰安婦問題と言うタブーへの認識はと言いますと。
これに対する数少ない例外が、先の大戦のいくつかの点をめぐる、いくつかの国が提起する点であり、象徴的な論点が慰安婦問題なのである。なんと、つい最近までの、彼女の慰安婦問題に対する認識とは、韓国が提起する問題の一つでしかなかったのであります。
(戦後70周年の日本外交と対外メッセージについてー北海道新聞に寄稿しました)
昨年の朝日新聞の誤報報道で明らかになったように、この慰安婦問題とは、朝日新聞と在日弁護士が仕掛けた、彼らの反日活動による謀であったと言う事実なのであります。
であるにもかかわらず、三浦氏は、慰安婦問題とは、南洋における日本軍の特殊問題であるとかたくなに主張を続けるのであります。
私は、日本人が特に邪悪であったなどと言いたいわけではありません。負けている軍隊の下に最も悲惨な状況が出現するという、時代と国を超えた傾向を指摘しているのです。日本軍は南洋戦線において、戦史に稀な悲惨な戦闘を行った。橋下さんが挙げたように連合国のノルマンディーにおける性暴力はひどかった。擁護する気など毛頭ありません。しかし、第2次大戦中、かたや補給も行われ、一定の軍律が保たれ、記録も存在する軍隊と、かたや補給を絶たれ、組織が崩壊し、記録する者までが息絶え腐っていった軍隊の違いは自明です。客観的資料は少ないですが、限られた生存者の聞き取りや、軍事法廷の証言は、人間として直視できないほどです。これをもって、三浦氏は橋下徹が事実誤認をしていると言うのであります。
(国際政治学者・三浦瑠麗「橋下さん、維新の可能性を潰さないでください」)
誰が見ても、この彼女の、慰安婦問題とは南方における日本軍の特殊問題であるとの主張には首肯しかねるのでありますが、三浦氏は公の場でこの主張を決して取り下げようとはしないのであります。
これは、なぜなのか?
まさに、これを説明するのが、先ほど申しあげましたところの「概念形成」問題であり、この概念形成の邪魔をしているのが、彼女が持つタブー意識に他ならないと言いますのが、今回のKAIの考えなのであります。
すなわち、三浦氏の、この歳になるまで慰安婦問題に対する理解が、韓国の主張問題との認識は、決して不思議でもなんでもなく、それはこの問題に興味を持たなかった大半の知識人において、きわめて一般的であったと言うことであり、言い換えれば政府を始めとしたタブー問題に対する認識に他ならなかったのであります。
つまり、このタブー問題に対する認識とは、考えることを止めることであります。
ところが、三浦氏に異変が起きた。
それはまさに、橋下徹が行った慰安婦発言であったのであります。
まさに青天の霹靂であります。
慰安婦問題とは、何か。
三浦氏には、急遽これを理解する必要に迫られることになったのであります。
ここで、三浦氏の慰安婦問題と言う概念形成に齟齬が生じることになるのであります。
いままでタブー故に考えることがなかった彼女が、まずもって根拠にしたのは、橋下発言に対する女性たちの反発であります。
そしてたどり着いたのが、橋下の言う当時世界共通の戦時下の女性人権問題ではなく、日本の特殊問題であるとの結論だったのであります。
しかし、なぜ結論がそうなるのか。
それは彼女のタブー時代の、慰安婦問題とは韓国の主張問題との認識に対する明確な答えになっているからであります。なぜ世界共通ではなく、韓国のみの問題となるのか、その答えとなるからであります。
「客観的資料は少ないですが、限られた生存者の聞き取りや、軍事法廷の証言」が、この彼女の認識を確固たるものにしていったのは、まず間違いないと思われるのであります。
しかしながら、時代の流れは、三浦氏の思いとはまったく異なる流れとなるのであります。
朝日新聞の誤報報道謝罪のきっかけとなったのも、まさにあの橋下発言であり、反橋下報道一色の中にあって、大阪でのW選挙勝利と維新は快進撃を続けているのであります。
大阪以外については、確かにいまだ反橋下色はぬぐえていないものの、それはあの橋下発言のせいでもなんでもなく、繰り返されるメディアの反橋下報道によるのは、まず間違いない事実なのであります。
と言うことで、このお話はこれでお仕舞いなのでありますが、最後に一言だけ申しあげますならば、橋下発言当時、多くの維新の女性議員たちが感じていたこのことを、声を大にして発言していれば、世の中の流れはまったく違ったものになっていた、それは「橋下発言はまったく問題なし」であると。 KAI
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