あなたの「人」としてのレベルを問われているのが、大阪都構想住民投票である(2)

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いつもの悪い癖(@相棒杉下右京)

いつも、KAI_REPORTのこの原稿は、昔はバーのカウンターでマティーニをのみながら、いまは五反田のナイトウショウテンから取り寄せている壱岐の焼酎を、晩酌しながら、しこしこと書いているのであります。ちょうど肝心の結論にさしかかるころには、いい気持ち。しかして、エントリー後半の論述は、きわめて簡潔(いわゆる手抜きとも言う)にして舌足らずとあいなるのであります。

と言うことで、昨日の内容では、さすがに説明不足の謗りを免れまいと思われます故、あらためて後半部分を補足させていただくのであります。

まさに、リアル合戦、なんであります。

つまり、大阪市民だけではなく、大阪府民、いえいえ、日本国民のすべてが、徳川方につくのか豊臣方につくのか、リアル合戦の、めいっぱいの「当事者」なんであります。

ここまでお話すれば、機転の利くみなさまには、なぜ橋下毛嫌いによる反都構想が地獄を見るのか、お分かりいただけるものと思うのであります。

豊臣家から禄を受けた忠臣ならいざしらず、家康の人柄が嫌いだけで豊臣方にまわった大名たちの末路こそ、KAIが警告する橋下毛嫌いで反都構想にまわった方々なのであります。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、なんて言葉があるのでありますが、みなさんのただいまの状況とは、まさにこれであります。

日本の行く末を決める、リアル合戦。

どちらに組するのか、あなたの「人」としてのレベルを問われているのであります。 KAI
あなたの「人」としてのレベルを問われているのが、大阪都構想住民投票である

橋下徹は言うのであります。

「昔ならとっくに僕は殺されていた」

いまのいま、民主主義社会であるからこその住民投票。ではあるけれど、これはもう間違いなく、日本の社会全体を巻き込んだ、天下の命運を決する、合戦、戦争なんであります。

すなわち、これはこの戦争に勝った方が支配・影響する世の中になることを意味しているのであります。

つまり、有権者である大阪市民のみならず、都となる大阪府の住民のみなさんすべてが、この戦争の直接的な「当事者」であり、最終的に都構想実現の影響を受ける国民すべてが、間接的ながらやはり「当事者」となるのであります。

その「当事者」本人であるみなさんが、自分の自らの、これから訪れるであろう未来の運命を決する、戦いに臨むにあたって、その選択する理由となるのが、大将橋下徹の好き嫌いであるとは。

もちろん、このみなさんの判断自体に、疑義を差し挟むつもりは、毛頭ないのであります。

この場で、あえてKAIが問題といたしますのは、先ほどからくどいように申しあげてきました、天下分け目の戦いについてであります。

言うなれば、日本と中国が天下分け目の戦いをしているのであります。

しかも、みなさんは、直接的な「当事者」。どちらにつくのか、これを曖昧にするわけにはいかないのであります。

しかしながら、まことに哀しい限りであります。

これを、みなさんは、総大将、橋下徹が嫌いだからとの理由で、敵方の総大将、え?、誰?、って言う、ぬえの総大将に味方することを、決めたのであります。

みなさんが、いかにこれまでの橋下改革の凄さを理解していなくても、これが戦である以上、「人」として、味方する側の大将たる人物を評価してこその判断であると言うのが、世間の常識と言うものなのであります。

しかし、そうではなかった。

ただ橋下徹を毛嫌いするだけの理由で、敵方の、ぬえの大将の味方をしたのであります。

今回のエントリーでKAIが言いたかったこととは、まさにこのことであります。

あらゆる意味で人生の岐路を決める出来事に立ち会うことになったとき、「人」として、その判断を、何を基準とするのか。

まさに、この判断基準こそ、その人の「人」としてのレベルを決めるのだと、KAIは考えているのであります。

でありますから、都構想成就の暁には、判断基準が「毛嫌い」であった人々にとって、ちまたあらゆる出来事が「毛嫌い」だらけとなるのは、明らかなのであります。

もちろん、いまから改心していただければ別ではありますが、これを地獄の苦しみを味わうことになると言うのであります。 KAI
(なんとか酩酊までに書き終えた(笑))