大阪都構想反対者に見る「バカ」の本質について

  • 投稿日:
  • by

さて、いよいよ、かねてより懸案でありました、大阪都構想の、大願成就の日が近づいてきたのであります。

それにつけても、このところ面白いように湧き出てくるのが、大阪都構想反対者と言う「バカ」であります。

その代表的存在でありますのが、この方々。

◆市民は「自治」を失い、大阪は破壊される/藤井聡
◆これぞ戦後最大の詐欺である/適菜収+本誌取材班
◆寂しき「かまってちゃん」/大谷昭宏
◆私が「橋下維新」を離れた理由/村上満由
「新潮45」【特集】「大阪都構想」の大嘘
さらには、現在大阪市主催で行われている特別区設置協定書の住民説明会において、質問コーナーで、質問ではなく自説の都構想反対意見をとうとうとまくしたてる住民の「バカ」であります。

と言うことで、今回はこの方々をサンプルにして、いわゆる「バカ」とは何か、「バカ」の本質に迫ってみたいと思うのであります。

今回のこの考察に必要となるキーワードが、「概念形成問題」と「レトリック思考」の2つであります。

この2つのキーワードからご説明したいと思うのでありますが、まずは「概念形成問題」であります。

「概念」とは、なぜこれを獲得できない人がいるのか?
「概念形成問題」とはなんであるかの詳しい説明は、このエントリーをお読みいただくとして、「概念形成問題」を簡単に言ってしまえば、「概念」を理解する上で、その概念形成プロセスに問題があるために、正しく「概念」を獲得できないことを言うのであります。

これが「バカ」の本質とどう繋がっているのかのご説明は後ほどにしまして、続いてのキーワード「レトリック思考」であります。

これは、このKAI_REPORTでは何度も取り上げておりますので、興味のある方はぜひ「レトリック思考」で検索していただければと思うのであります。

基本的に「レトリック思考」とは、ロジック思考(論理思考)の対義語でありまして、最初から「結論」ありきの思考方法であります。

この思考方法では、彼らが説明する「理由」なるものは、この「結論」を得るための根拠となる「理由」ではなく、単なるこの「結論」から導かれる「説明」のひとつひとつに過ぎないのであります。

でありますから、レトリック思考者との議論では、彼らの言う「理由」にいくら反論しても、なんら彼らの「結論」には影響を与えず、またぞろ別の「理由」を開陳しはじめる始末であります。

さて、肝心の都構想議論についてであります。

「大阪都構想」とは、「概念」であります。

まずは一番重要なことは、都構想反対者のほとんどが、この「概念」を理解していない、この「概念」を獲得できていないことであります。

この概念を獲得できない理由こそが、さきほどのキーワード「概念形成問題」であります。

すなわち、都構想と言う「概念」を獲得できないのは、その概念形成過程に問題があると言うことであります。

具体的には、何がこの概念形成の邪魔をしているかと申しあげますならば、それは直接的、あるいは間接的な、既得権益といわれるものなのであります。

例えば、大阪市が廃止されることにより失職する大阪市会議員であるとか、失職はしないまでも市職員と言う身分を失う大阪市公務員とその組合員。あるいは、平松市長時代の大阪市から直接的に権益をえていたMBS、MBSの番組に出演するコメンテータと言う間接的権益者。藤井聡のような、大阪市の大規模土木事業に直接的に関わる利権企業や学者たち。補助金漬けの地域自治組織。

例を挙げればきりがないのであります。

彼らにとって、都構想と言う「概念」を獲得するには、自分たちが保持している既得権益をまずは捨てる必要があるのであります。

しかしながら、彼らにとって、それは不可能なのであります。

この、直接的にも、間接的にも、自分たちが保持している既得権益が彼らにとって概念形成の障害となるのであります。この結果、永遠に「大阪都構想」と言う「概念」は、間違った「概念」として理解され続けるのであります。

この証明は、簡単であります。

たとえ住民投票で賛成多数となって都構想が実現した暁にも、決して彼らは都構想は間違っているとの言説を撤回することはないからであります。

こうした、間違った都構想と言う「概念」の理解を結論として、この結論を導くための「理由」と称する屁理屈を並び立てるのが「レトリック思考」であります。

まさに、この「大阪都構想」と言う「概念」を獲得できないことと、「レトリック思考」による無意味で不毛な議論こそが、今回のいわゆる「バカ」の本質であると、まったくもって申しあげる次第なのであります。

と言うことで、やっぱり、「バカ」は死ななきゃ直らない、と言うのは真実と、KAIは思うのであります。 KAI