全電源喪失問題の本質とは?

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3.11

また4回目の、この日が来た。

この日が来るたびに、喉に刺さった小骨のように気にかかったままでいるのが、福島原発事故における、全電源喪失問題であります。

今回はこれについてあらためてここで考えてみたいと思った矢先、こんな記事がアップされたのであります。

 吉井議員はこうした回答を予測していたのか、次に「現実には、自家発電機(ディーゼル発電機)の事故で原子炉が停止するなど、バックアップ機能が働かない原発事故があったのではないか。」とたたみかける。

 しかし、これについても、安倍首相は「我が国において、非常用ディーゼル発電機のトラブルにより原子炉が停止した事例はなく、また、必要な電源が確保できずに冷却機能が失われた事例はない。」と一蹴。

 これに対して、吉井議員はスウェーデンのフォルスマルク原発で、4系列あったバックアップ電源のうち2系列が事故にあって機能しなくなった事実を指摘。「日本の原発の約六割はバックアップ電源が二系列ではないのか。仮に、フォルクスマルク原発1号事故と同じように、二系列で事故が発生すると、機器冷却系の電源が全く取れなくなるのではないか。」と糾した。

 すると、安倍首相はこの質問に対して、こう言い切ったのである。

「我が国の原子炉施設は、フォルスマルク発電所一号炉とは異なる設計となっていることなどから、同発電所一号炉の事案と同様の事態が発生するとは考えられない。」

(中略)

 重ね重ね言うが、福島原発が世界を震撼させるような重大な事故を起こした最大の原因は、バックアップ電源の喪失である。もし、このときに安倍首相がバックアップ電源の検証をして、海外並みに4系列などに増やす対策を講じていたら、福島原発事故は起きなかったかもしれないのだ。
安倍首相が原発事故前に「全電源喪失はありえない」と地震対策を拒否していた

安倍さんに一方的過失があるとのこの記事には、KAIとしてまったくもって同意できかねるのでありますが、確かにこの記事の筆者が指摘するとおり、今回の重大事故の直接的原因は、全電源喪失であり、この事態を想定した、事前の対策なり訓練が行われていたならば、その結果は、現在の途方もない悲惨な状況とはかけはなれたものとなっていたことは、まず間違いないのであります。

ところがであります。

事故発生以来、再稼動の承認審査をはじめとした、原発事故防止対策の眼目には、この直接的最大原因である全電源喪失問題が、なぜかポッカリと抜け落ちているのであります。

おまけに、事故発生以来の検察当局による、今回の一連の大事故責任追及においてさえ、1千年に一度と言う地震と津波にその原因があるとして、いわゆる、想定外の事態による免責を適用しようとしているのが、いまもっての現実なのであります。

これは、いったいなぜなのか?

実は、ここにこそ、福島原発の事故原因隠し、隠蔽問題があるのでありますが、これをご説明するためには、まずは、今回の大震災以来たびたび登場しております「想定外」と言う言葉について、この言葉の意味することがなんであるのか、これをあらためて私たちは吟味する必要があると、KAIは考えているのであります。

それはどう言うことかと申しあげますならば、想定外には、2種類の想定外があって、このうち一方は、実は基本的に想定外ではなく、想定内の問題であるとの事実なのであります。

具体的には、想定外には、完全的想定外と、想定内的想定外と言う、二つの想定外があるのであります。

たとえば、原発に隕石が落下して事故が起こる場合を考えますと、もちろんこれは、まことに稀有な出来事となるのでありますが、これを想定するのでありますから、決してこれはそのまま想定外と言うわけにはいかないのであります。

ただ、これは、つまり隕石落下は、特別原発を狙ったものではなく、偶然的問題なのであります。すなわち、こういった、想定されるけれど、今回は想定外として扱いましょうと言うのが、後者である、想定内的想定外であるのであります。

では、完全的想定外とは。

まさに、これは、いかなる手段をもってしても事前に想定することができなかった、と言う、そう言う場合を言うのであります。

ところがこれは、この具体的な場合を例示することは、この言葉の定義からしても、不可能なのであります。例示として想定できるのでありますならば、これはすなわち想定外ではなく、すべて想定のうちであるからであります。

と言うことで、想定外とは実は、ことごとくが想定内想定外であるのであります。

この想定外とは、基本的に想定内想定外であるとの事実であることこそ、今回の全電源喪失問題の本質を読み解くうえで、重要なヒントを教えてくれるのであります。

すなわち、すべからくことの本質は、想定外といわれる地震や津波にではなく、全電源喪失と言う想定内の問題にあったのであります。

ではなぜ、政府やあらゆるメディアは想定内を想定外と言い続けているのでありましょうか。

あらゆる(想定内的)想定外は許されなかったと言う事実

原発建設当時からの事情を知る者たちからすれば、あらゆる問題はタブーであったのであります。

原発は安全である。絶対に事故は起こさない。

こういった状況下で、原発事故を想定した訓練を行えるわけがないのであります。

もちろん、メーカーから提供された英文マニュアルには、全電源喪失時の対応が克明に記されていたのであります。

しかし、このマニュアルに則っての訓練は行われることはなかった。

万一この訓練をしたとしても、ひとたびこの訓練が行われている事実が公表されることがあったなら、原発は安全ではないとの批判の集中砲火をあびることになったのであります。

こうしたあらゆる結果が、政府、東電をはじめとした電力会社、マスメディアが、(想定内的)想定外と言うあらゆる事象について、それがあたかも存在しないかのように、これを無視し始め、無視し続けてきたのであります。

すなわち、全電源喪失問題の本質とは、まさにこの、政府、東電、マスメディア、そして地元自治体とその住民たちが、ことごとくの総意をもって生み出した、典型的人災以外のなにものでもなかったのであります。

ここでみなさまには、誤解なきように一言申しあげますならば、(想定内的)想定外といっているところの千年に一度の地震や津波は、その程度はおいて常に想定の範囲であり、その確率的に想定外とされたものであると言うことに、ご注意いただく必要があるのであります。

例えば、原発へのミサイル攻撃を考える場合、当然のようにその被害を想定し、その対策を講ずる必要があるのであって、決してこれは想定外の事態にはならないのでありますが、その確率的可能性をかんがみ、一般的にこれを想定外としていると言うことなのであります。

と言うことで、この一連のメカニズムをご理解いただきますならば、全電源喪失問題解決の方法とは、その技術的課題にあるのではなく、人災としての、その予防的措置そのものにあることが明らかになるのであります。

すなわち、明示的な、全電源喪失時の訓練とその広報であります。

そして万一これがうまくいかなかった場合の、住民の避難訓練、被曝対策の明示であります。

もちろん、全電源喪失時の訓練は、職員の定期的実施を義務付けるのでありますが、これ以外は地域自治体の判断にまかせればよろしいのであります。

原発の安全神話。

このタブーと、誰一人としてこれを突き崩せなかったことこそが、全電源喪失事故の本質であったのであります。 KAI