フランスの風刺画新聞社「シャルリエブド」襲撃事件から1ヶ月余りが経ち、こんどはデンマークのコペンハーゲンに飛び火。預言者ムハンマドの風刺画に関する「言論の自由」討論会をテロリストが襲撃し、死傷者が出たとのことであります。
この一連の事件で問題となっていますのは、宗教と風刺と表現の自由と言う、この三者関係についてでありますが、大方の結論は、「なんだかよくわからない」と言うことだったりするのであります。
もちろん、なぜ「なんだかよくわからない」となるのか、これはよくわかっているのであります。
それは、すなわち、三者それぞれの価値観が互いに相克しているから。
宗教の価値観とは、この場合、偶像崇拝の禁止であり、風刺画の価値観は、風刺批評によるいわば「価値観自体の脱構築」。これを許容するのが表現の自由の価値観と言うわけであります。
この、互いに矛盾する価値観の間に、折り合いをつける方法はあるのか。
ここで果敢に登場するのが、マイケル・サンデル先生。
サンデル先生といえば、「絶対的な共通善を議論により追求するコミュニタリアニズムのあり方を提言」と言うわけで、ハーバード白熱教室的議論で今回の問題に折り合いをつけることができるかどうかであります。
しかし、この答えは、すでにここで議論したとおり(「正統性」思想とは−−正義と正統性)、「絶対的な共通善」を共有するべき「共同体」が存在しないか、たとえ存在したとしても異なる「共同体」として相見えることはないのであります。
すなわち、絶対的共通善なるものを、いくら議論を積み重ねても、互いに共有することは不可能なのであります。
ここに、今回の一連の事件について、メディアの議論の「なんだかよくわからない」と言う、もう一つの本質があるのであります。
では、どうすればいいのか。
ここで意味を持つのが、今回もまた、「正統性」思想であります。
宗教の偶像崇拝の禁止の正統性、風刺批評による価値観の脱構築の正統性、表現の自由の正統性、この三つの正統性を考えればいいのであります。
そして、この3つには、当然のように正統性があるのであります。
よって、互いにこの正統性を侵害することはできないのであります。
しかし、テロリズムによって、暴力的侵害が起こってしまったけれど、このテロリストたちには正統性は微塵もないのであります。
では、風刺画は、宗教の正統性への侵害ではないのか、と賢明なるみなさまは懸念に思われるでありましょうが、そうではないのであります。
正統性の侵害とは、あくまで「暴力的」侵害を言うのであります。言論によるものを侵害とは呼ばないのであります。
と言うことで、とどのつまり誰も間違ったことはしていない、テロリストを除いては、と言うのが結論と言えるのであります。
とはいえ、なぜイスラム教と言う宗教がテロリストたちに利用されるのか。
実は、この問題にこそ、人質殺害事件を含めて一連の事件の奥底にある問題の本質が隠されているのであります。
それが、前編において指摘しました、「イスラム国」の正統性問題であるのであります。
彼らは、国家としての正統性を求めているのであります。
その正統性の根拠となるのが、宗教としてのイスラム教の正統性である、と彼らはかように主張するのであります。
これは、今後わたしたちがこの問題に如何に向き合えばいいかを考えるうえで、非常に重要なヒントになると、KAIは考えているのであります。
どう言うことかと申しあげますならば、イスラム教にとって、「イスラム国」にはイスラム教の正統性は存在していないと主張することなんであります。
これを、世界中のイスラム教系国家のみなさんが、国家として一斉に声明として表明するのであります。
メディアもまた、一斉にイスラム教の正統性を持たない集団であることを言い続けるのであります。
イスラム教の正統性から破門された破壊者、これがテロリストたちの正体なのであります。 KAI
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