お久しぶりのレポートとなるのであります。
その理由は、簡単。
このところのあまりにも大きな、世界大潮流と言う流れの変化であります。
これをいかに言葉にしてご説明すればよろしいのやら。考え続けていたのであります。
例えば、前回話題にしました、西沙諸島問題。これを機会に中国に対して、圧倒的圧力をかけるのが安倍外交。そして、ここにきて大きな変化を見せ始めた北朝鮮の対日戦略。これもまた安倍外交の成果であります。
この目を見張るばかりの、安倍のリーダーシップによる日本外交の復権に対して、これを「失敗ばかり」と批判する人がいる。
北東アジアでの孤立は日本も同じだ。中国・韓国と首脳会談さえ持てず、米国とも波長が合わない。ロシアへの接近もウクライナ問題でブレーキがかかった。外交では失敗ばかりの安倍政権が、リスクは承知で「日朝関係の打開」に賭けた。この筆者には、安倍首相の首相就任以来歴訪した国々の一覧を、ぜひともご覧いただきたいのであります。
(勝算薄い北朝鮮の拉致再調査 被害者は果たして帰ってくるか)
ベルギー、イタリア、シンガポール、ドイツ、英国、ポルトガル、スペイン、フランス、ベルギー、オランダ、ソチ、インド、スイス、オマーン、コートジボワール、モザンビーク、エチオピア、カンボジア、ラオス、トルコ、バリ、ブルネイ、カナダ、ニューヨーク、サンクトペテルブルク、ロシア、アルゼンチン、バーレーン、クウェート、ジブチ、カタール、マレーシア、シンガポール、フィリピン、ロック・アーン、ポーランド、アイルランド、英国、ミャンマー、ロシア、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコ、モンゴル、米国、ベトナム、タイ、インドネシア実に、のべ48にも及ぶ国と地域であります。おおよそ1週間に1カ国。毎週外国に出かけている勘定になるのであります。
これがどれだけ日本と言う国力を強化しているか、理解できないと言うのでは、自らを外交オンチと自覚なさったほうがよろしいかと思うのであります。
そして、日本は決して北東アジアで孤立などしていない。
孤立しているのは、中国であり、北朝鮮、そして韓国も孤立し始めているのであります
この日本外交をとりまく大潮流の変化には、いかなる本質的意味があるのか。
これを考え続けているとき、これまたシンクロニシティ、実に興味深いレポートに出会ったのであります。
このレポートこそ、いまのいまこの日本で起こっている日本経済の構造変革と言う、大潮流の変化を捉えた、画期的レポートと言えるのであります。
それだけでは過去最高利益はおぼつかなかったであろう。最大の理由は、日本企業がモデル転換に成功したことにある。日本企業のモデル転換とは、日本経済の価値創造のパターンの転換である。戦後一貫して続いてきた「失業の輸出」モデル(価値収奪モデル)から「雇用の輸出モデル」(価値提供モデル)への転換である。そうした転換は、世界最大のコスト削減、リストラと研究開発の継続、の寄与によって可能となった。要するに、武者陵司氏は、日本経済は、20年かかったけれど、そのビジネスモデルと言う構造変革を果たしたと言うのであります。詳細はこのレポートをお読みいただくとしまして、このレポートが何を意味しているのか、今回はこの本質に迫ってみたいと思うのであります。
(「失われた20年」ではなく「モデル転換の20年」、武者陵司)
と言うことで、これを読み解くヒントとなるのが、日本の家電メーカーの国際競争力低下について、その原因を分析したこの記事であります。
中国のメデイアによると、韓国では電機メーカーはサムスンとLG電子に集中して政府が支援をし、1)世界市場に向けて進出し、規模の経済の優位性を享受し、2)日本より安い人件費の利点をフルに動員し、3)政府の為替操作によるウオン安と円高の同時進行により、日本製は20%高くなり、韓国製は20%安くなる結果、日本製品は韓国製品にたいして40%の為替差を甘受しなければならなかった。さらに4)バブルがはじけて以来リストラが日本に導入され、競争力のなくなった部門は比較的安易にリストラされた。この記事の真偽は別にしまして、日本家電メーカー凋落の原因の一端が、韓国企業の躍進にあるのはまず間違いない事実であると言えるのであります。リストラになった多くの日本人技術者は韓国や中国の企業に雇われ、韓国や中国の企業は日本が長年にわたり蓄積した技術上のノウハウを比較的簡単に入手することができた。(「日本の家電メーカーの凋落は誰のせいなのか?=中国メディア」Searchina;「爆発する世界市場での日本の情報家電メーカーの生き残り戦略―サムスン攻略法」J-marketing.net)
(家電業界の凋落は誰のせいなのか?)
すなわち、日本の過去の成長を戦後から長年支えてきたビジネスモデルをそのままに、さらにそれを上回るパフォーマンスによって、日本のビジネスモデルが無効化されてしまったと言うわけであります。
日本経済をいまいちど復活させるためには、このビジネスモデルからの脱却しかない。
どこの誰もが唱えた、重篤な病に陥った日本経済への処方箋であります。
その新しいビジネスモデルこそ、「雇用の輸出モデル」(価値提供モデル)であると言うのが、今回の武者陵司氏の慧眼であったのであります。
しかも、この経済構造の大転換を支えたのが、こちらであります。
20年間の長期経済停滞という困難な中での日本企業のビジネスモデルの転換、「雇用を輸出するモデル」、「品質優位・技術独占のビジネスモデル」への転換は賞賛に値する。しかしなぜそれが可能になったかと言えば、犠牲が労働者とサービス分野に転嫁され、企業がモデル転換投資を持続できたからである。「失われた20年」という経済困難は、犠牲を転嫁された労働者・家計とサービス産業の困難であったと言える。労働者と家計に犠牲を強いたものとは、これすなわち、デフレ経済です。
(「失われた20年」ではなく「モデル転換の20年」、武者陵司)
ここまでお読みの読者のみなさまには、これからKAIが何を言いたいのか、もうピンっときたことと思うのでありますが、このデフレ社会を招いた張本人である、日銀こそ、このたびの日本経済の構造変革の影の立役者であったと言う、まことにもって不本意なる真実だったのであります。
であるにもかかわらず、三重野康は過剰な金融引き締めを強行したのであります。この三重野に始まる日銀による経済犯罪は、必ずや歴史と言う法廷で裁かれることになると思うのでありますので、これ以上の言及は控えさせていただくとして、いみじくもこのデフレ社会が、日本経済の構造変革へのきっかけとなり、これを支えてきたことには、なにかしらの意味があると思うのであります。これによって日本経済は取り返しのつかないダメージを受け、デフレ社会と言う奈落の底へとまっさかさまに転落していくことになるのであります。
以降必死に這い上がろうとする日本経済に対して、日銀は「瑕疵」を繰り返すのでありました。
(無謬性--この偽りの正統性が正されるときがやってきた)
それが、何であるか。今回のレポートの結論であります。
それは、日本経済の正統性とは、日銀理論と言う「偽りの正統性」さえも20年と言う時間軸を超えて、乗り越えていくものである。まことにもって、全うな真実であります。 KAI
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