いやはや、このシリーズも長くなったもんであります。
とはいえ、よくよく考えて見ますならば、これが長く続くことにはそれなりのわけがあると思うのであります。
それは、そもそもにおいて、このシリーズがなんでスタートしたかと、これを思い起こしていただければよろしいのであります。
情報戦とは−−孫子の兵法応用編、投稿日:2012年4月 6日それは、たった2年前のこのエントリーに始まるのでありますが、まさに「システム」側との、このはるか続く「長い」戦いにこそ、このシリーズ、このテーマの本質があるのであります。
と言うことで、前回、なぜ「都構想」は伝わらないのか、どうやればこれを伝えることができるのか、この問題について考察した、今回はその引き続いての考察であります。
そして、いきなりの結論であります。
最終的に戦う相手が「システム」である以上、誰と誰が敵であり、誰と誰が味方であるのか、この敵と味方の峻別こそがもっとも重要となるのでありまして、これからは、「システム」側そのものでありますところの「本体」以外の、いまのところは敵となっている方々をいかに味方に引き入れるか、この戦術がポイントとなるのであります。
この戦略に従って、具体的に現状を分析いたしますならば、残念ながら大阪維新支持者以外は基本的にすべて「敵」であると言うことであります。
もちろん、このなぜ、維新支持者以外が敵である理由には、さまざまなものがあるのでありますが、このおのおのの理由には、本質的意味はないのであります。
ここにあるのは、唯一、偽りの正統性。
これこそが、今回の本質的意味を構成しているのであります。
と、一気に論をすすめてしまいますと、多くのみなさまがまるでわけわかめとなってしまわれるでありましょうから、この偽りの正統性を論じるきっかけとなった「支配なき被支配体制」について言及しました、このエントリーを、いまあらためて読み直していただきたいのであります。
この官僚による「支配の実態のない被支配体制」に正統性はあるのか。これが問題であります。要するに、すべての発端は、橋下つぶしそのものにあるのでありまして、いま「敵」となる人びととは、この偽りの正統性に、直接的、間接的に支えられた人びとであります。もしあるとすれば、それはいかなるものであるのか。またそれを改革せんとする方々にとって、本丸を打ち破るにはいかなる方法があるのか。今回はこれを考察するのであります。
これをよくよく考えていくと、この「支配なき被支配体制」の正統性を支えているのは、実は他でもない「米国従属批判」それ自体が、この正統性を担保していると言う、不可思議な事実に行き当たるのであります。
つまり別の言い方をすれば、「ぼく、米国従属批判、止めるもんね」なんてみんながみんな言い出したら、たちまちこの「被支配体制」の正統性は失われてしまうってことであります。
そうでしょう、「米国なんて問題じゃないよね」って言って、「じゃあ誰が問題なのよ」って国民がこれを考えだしたら、たちまちこの風向きがいまの政治、すなわち政府に向くのは、あたりまえ。
そうです、なんと日本でも「ジャスミン革命」が簡単に起きることがあるってことであります。
そしてそれは、反政府運動とはちょっと違う、反官僚体制運動と言う形で顕在化していくのであります。
おそらく、そのリーダーとなるのが「橋下」。
と「官僚機構」側が考え始めて、メディアをあげて「橋下」たたきに高じたのが先の大阪市長選挙であり、いまだ鳴り止まない「橋下」批判の真因がここにあると考えると、まことにもって納得のいくお話であるのであります。(「橋下」たたきの連中と「対米従属反対」の連中が奇妙に「一致」していることからもこれは分かる)
このお話で面白いのは、いままでその可能性が(つまり官僚機構の敵で)あったために展開されてきた「小沢」つぶしとの違いであります。(結果的に国家権力あげての小沢つぶしは事実ですが、これはすでに何度もここでご説明の通り自業自得)
すなわちそれは、「橋下」はたたけばたたくほど「チカラ」を得てきていると言う、「官僚機構」側からすれば、きわめて不可解であり不都合な真実であります。
「小沢」たたきとどこが違うのか。これこそが、「正統性」のあるなしの違いであったのであります。
「小沢」になぜ正統性がないのかは、前述の通りであります。
ではなぜ「橋下」には「正統性」があるのか。
それは批判はされても、すべて徹頭徹尾「民主的」プロセス(「対話」と「議論」と「選挙」)を経てやってきているからであります。
「小沢」も選挙に勝てばなんでもできるなどと不遜なことを言っておりましたが、徹底的に「対話」や「議論」不在の民主党にあっては、とても「民主的」プロセスを踏んでいると言える代物ではないのであります。
しかし、「橋下」の「正統性」は、単に「民主的」プロセスにあるだけではないのであります。
実は、これこそ今回のポイントであるわけでありますが、それは「官僚機構」が密かに構築してきた「支配なき被支配体制」の、「対米従属批判」によって支えられている「不完全」とも言える「正統性」に対する、これを「中心線」に戻す「自然治癒力」として本来の「正統性」、これこそが「橋下」の持つ「正統性」の本質であったのであります。
この「正統性」は強力であり、強靭であります。
もはやこれに対抗できる、既存政党は日本には存在していないのであります。彼らが、もし「橋下」と連携するにしても、そうとうの「覚悟」がいることを承知してかからないと、自分たちの存立基盤そのものが否定される事態に陥るやもしれないのであります。
さらに、人が、どんどんと集結しはじめているのは、すでに報道の通りであります。
(「正統性」思想とは--対米従属批判から見えてくる日本の風景)
かつてもいまも、本来戦うべき敵は官僚機構であるにもかかわらず、対米従属や脱原発、慰安婦問題といった、隠れ蓑にされてしまった見せ掛けの支配者、当事者と、私たちは不毛な戦いを強いられていると言うのが、この実相なんであります。
これを、劇的に転換する方法とは。
これこそが、テーマの転換、であります。そうです、上に書きましたとおりの「風向き」の転換であります。
橋下たたきに正統性がないとわかった瞬間、世の中の流れが、一気に変わる。
つまりは、そう言うことだったのであります。
なぜ、都構想は伝わらないのか、それは、都構想そのものに正統性があり、偽りの正統性に支配された人びとにとって、都構想を認めることは自分たちの正統性そのものを否定されることになるからであります。
では、都構想をどうやれば伝えることができるか。
それは、偽りの正統性に支配された人びとを、偽りの正統性の呪縛から解き放して、敵であることから味方に転換することであります。
その一番のきっかけとなりますのが、こちら。
今日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」に出演された安倍総理が、この都構想問題もそうでありますが、橋下徹が言い出して、つぎつぎと突破しつつある課題でありますところの、河野談話見直し、オスプレイ八尾提案、教育委員会制度見直し、集団的自衛権にともなう憲法裁判所等々。
橋下徹大阪市長の「大阪都構想」は応援したい?と言う質問に対し、
これは基本的には「○」と、心強い返答(笑)。 pic.twitter.com/nTt1zL211b
(そもそも・・・@whtos2014、19:13 - 2014年4月20日)
これらことごとくのすべてが、偽りの正統性を根拠に橋下つぶしに勤しむ人びとにとって、みずからの不明に羞恥を強いられることとなるのであります。
もちろん、これを誰も話題にすることはないのであります。
あれ?
そんなことって、あったっけか?
ってなもんであります。
が、それでいいのであります。橋下徹は、これをすべて許すのであります。 KAI
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