昨年末、しきりに流されていたグーグルのこのコマーシャルを見て、不思議な感覚に襲われた。
竹田城まで車で行きたいデジャブ、であります。
そうです、もう15年も前から、KAIはこの光景を見ていたことを思い出したのであります。
それは、あの天才、斎藤由多加が生み出したゲーム、シーマンであったのであります。
当時IBMが実用化した言語認識技術を、ゲームの世界に世界で初めて本格的に実用化した育成ゲーム、それがシーマンであったのであります。
これが、いまや、Siriの技術によって、当たり前のように実用化され、進化し続けているのであります。
と言うわけで、新年あけましておめでとうございます。
このお話は、ずいぶん昔からあたためていたのでありますが、なかなな筆がすすまない。ここで一気にけりをつけるとするのであります。(希望的観測)
と言うことで、そもそも、竹田城もシーマンも、その技術の本質は、シミュレーション。
あらゆる音声認識活動とは、実はシミュレーションであったのであります。
またまた、わけわかめと思われるでありましょうが、これをいかにわかりやすくご説明すればいいのか、これに悩んでいたと言うわけであります。
もちろん、これも、懸案のフォーマティングセオリー、形式化理論と直結しているのでありますが、どうやらこれは本年の主要研究テーマとなりそう。新年早々そう言う予感がするのであります。
言語活動とは、究極的なシミュレーションであります。
すなわち、音声認識によるシミュレーションと、言語活動によるシミュレーション、この二つのシミュレーションがおりなす典型的メタ構造の世界であります。
そこに、アプリケーションと言うソフトウェアが介在する。
これで、すべての役者が出揃った。
人間とは、いかに認識し、行動するのか。
このすべてが、言語によるシミュレーションにその秘密があったのであります。
私たちは、これを無意識の中で操作することによって初めて、あらゆる言語活動、認識活動が可能となる。これこそが形式化理論であります。
と言うことで、このお話はますます、混沌とするのであります。(おおいにつづく) KAI
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