「正統性」思想とは--ハフィントンポスト日本版とバイデン副大統領

  • 投稿日:
  • by

しばらく、この記事を読んだ後、なぜネットのコメントを編集することが許されると、彼らは考えるのか、その答えをKAIは考えあぐねていたのであります。

その、この記事とはこちらであります。

コメント空間の編集もやっています。ライターを集めてコンテンツの質だけ追求という形よりも、ユーザー、読者がコメントを投稿しあえる「良質な言論空間」を作るのが我々の大きなポイントです。アメリカではコメントはおよそ月間30万件です。それを機械的、人為的にカットして、20万件になっています。ネガティブなコメントではなく、ポジティブなコメントによって、議論を前に進めるという方法を取っています。日本でも同様の形で行っていて、他国より少し厳しめかな、というところで空間編集をしています。
技術の「見えざる手」がネット言論を形成する
この引用元の筆者は、まったくもって勘違いをしているのであります。

なにを勘違いしているのかと申しあげますれば、米国版ハフポが行っている「機械的、人為的にカット」と、日本版の「機械的、人為的にカット」とは、まるで別次元のカットであるにもかかわらず、これを「同じ」とする勘違いであります。

これがどう言うことであるのかをこれからご説明するのでありますが、まずもって「機械的カット」でできることと言うのは、単に禁止ワードのチェックだけであると言う厳然たる事実であります。

みなさんご承知のように、こんな単なる使用禁止の単語をチェックしてはねるだけの機能と言うものは、もうずいぶん昔から実装されてきた機能でありまして、この記事の筆者がこれを「見えざる手」などと評価するのは、無知蒙昧以外のなにものでもないのであります。

いや、人為的カットとの組み合わせが「見えざる手」であるとの反論は、容易に想像できるのでありますけれども、少しと言えども人為的であるならこれを「見えざる手」であるとは、これまた笑止であります。

これらの事実を指摘させていただきましたうえで、この筆者の「勘違い」でありますところの、米国版人為的チェックと日本版人為的チェックの違いについて、これがまことに重要なる問題となるのであります。

この結論を申しあげますならば、米国版人為的チェックとは、機械的チェックの弱点である、禁止ワードを使わない誹謗中傷のチェックであり、一方の日本版と言えば、誹謗中傷ではなく、批判コメントのチェックであります。

他国より少し厳しめかな
と言うのは、実に如実にこのことを表しているのであります。

まともなメディアの編集者であれば、こんなコメントの「機械的、人為的にカット」による影響がいかなるものになるか、容易に想像できようかと言うものであります。

ただし、現状ではコメント数自体がまだ少ない。
日本版ハフポ編集者は、まったくもってまるでこの意味が理解できてはいないのであります。

しかし、冒頭に述べさせていただいたとおり、なぜ彼らは「批判コメント」を編集することが許されると考えるのか、これがKAIはずっと不思議でしかたがなかったのであります。

これが、突然、今朝やっとわかった。

それは、この記事を読んだからであります。

 靖国参拝に激怒し、日韓関係の改善をせかすバイデン副大統領について首相周辺は、ゲーツ元米国防長官が今月出版した回顧録の一文を引き合いに出す。そこにはこう記されている。

 「バイデン氏は過去40年間、全ての重要な外交政策と安全保障に関する判断でミスを犯した」
ぶれる米の対韓認識で日韓関係悪化 「まるでアマチュアだ」

そうです。

一連の、米国による対日姿勢悪化の張本人が、バイデン副大統領であったと言う決定的事実であります。

そしてこのバイデンと言う男は、ゲーツ元米国防長官によれば、過去40年間にわたって重大判断のミスを繰り返してきた人物であったのであります。

まさに、バイデンと言う男の、この40年間にもおよぶ判断ミスと言う「意志」、これこそが偽りの正統性であります。

この偽りの正統性を担保に、なんの躊躇もなく、国家間の問題を「ドライブ」できると、かようにこの男は考えているのであります。

と、かように理解しますならば、この偽りの正統性といかに対峙すればいいのか、自ずとその答えはみえているのであります。

すなわち、日米関係解決とは、バイデン外し、もしくは、ポストオバマ以外にはないと、心得るのが、正解なのであります。

と言うことで、いったいこれが、冒頭のハフポ日本版問題といかなる関係があるのか、これが問題であります。

そしてその答えとは、日本版ハフポにおけるバイデンとは、すなわち「朝日新聞」であったと言う、なんともつまらない答えだったのであります。

どう言うことかと申しあげますならば、ハフポ日本版におけるコメントとは、朝日新聞における「声」欄に寄せられる投書であります。

当然本紙に載せる「声」は、編集者の手により選択されるのであります。

選択とカットとは、同義語であります。

すなわち、ここに朝日新聞の編集と言う「意志」が入ってくるのであります。

まさに、これこそが日本版バイデンの「意志」であります。

バイデン同様であります。戦前戦後、もう何十年にもわたって判断ミスを繰り返してきた朝日による、偽りの正統性。

これこそが、ハフポ日本版における「人為的カット」の本質であったのであります。

と言うことでありますから、この問題の解決は、ハフポ日本版の消滅以外にはない。

ま、KAIがここで心配するまでもなく、早晩、この答えは自ずと明らかになる。とどのつまりはそう言うことであります。 KAI