安倍靖国参拝を批判する人々の「精神構造」とは?

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今回、この問題は、KAI的に申し上げますところの、みなさまにとって絶好のリトマス試験紙となるのであります。

それは、以下の試験紙であります。

「批判」派の色に染まった方は、レトリック思考の持ち主。

色が何も変化しなかった方は、少なくともレトリック思考ではない(ロジック)思考の持ち主。

んん?

意味わからんし、と言われる方々のために、今回はこれを明確に解説することにするのであります。

まずは、レトリック思考とは、なんであるのか。これにつきましては、このレポートで幾度となくご説明してまいりましたので、これは割愛させていただくことに致しまして、靖国参拝問題が、なぜレトリック思考と関係があるのか。

このことからご説明するとするのであります。

これは、簡単にいってしまいますなら、「好悪」の問題であるからであります。

「好悪」の問題とは、例えば、それは納豆が好きか嫌いかの問題と一緒であります。

納豆が好きだと言う人には、その理由は問われないけれど、これが嫌いだと言う人には、その嫌いな理由がなにかしら問われることになるのであります。

靖国参拝に反対するのも、これとまったくもって同じであります。

・中国韓国の反対
・米国の失望
・A級戦犯合祀

言い訳はたったこれだけであります。

みなさん、よくよくお考えいただければ、これが参拝反対の「理由」になることはあっても、参拝を否定する「根拠」には何一つ足りえないことにお気づきいただけるかと、かようにKAIは思うのであります。

いずれの「理由」も、参拝が嫌であることを説明しているだけで、参拝を否定するに至る根拠を論理的に示してはいないのであります。

唯一、A級戦犯合祀がそれらしく見えるのでありますが、ねぎの入った納豆は喰えないの論理と一緒であります。

ここで、かのレトリック思考とはなんであるのか、これを思い出していただければ、靖国参拝反対が、レトリック思考でいいますところの、まず「結論」ありき、この「結論」そのものであることに気づくことになるのであります。

(中韓反対が根拠にならないのは、彼女が納豆嫌いだから僕も納豆嫌いというのと同じで論理にならない)

まずもって、靖国参拝が嫌いと言う「結論」が先にあって、これにさまざまな理由をつけて似非的論述を展開する。これが真実であります。

と言うことで、マスメディアだけをみるかぎり、いかに私たち日本人の大多数が、この悪魔のレトリック思考に汚染されつくしているのか。

しかし、けっしてこれをなげく必要はないのであります。

これに見事なまでに「論破」した事例をご紹介するのであります。

靖国参拝というオウンゴールをやってしまった安倍総理と言う大西宏氏の記事へのコメントであります。

>大変なオウンゴールをやってしまったものです。

ゴール前にいる近平と李の内政干渉というゴールキーパーを押し倒してゴールに突き刺さった豪快なシュートでした。
Mike、12月27日 16:01

 KAI