人生には別離と言うチカラがある

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けつちゃんこと、漫画家の須賀原洋行氏の奥様が亡くなられたとのこと。

須賀原洋行氏の「実在ニョーボ」こと、よしえサンについて
よしえサンとはおそらく1度きりしかお会いしたことがなかったと思うのでありますが、KAIは、けつちゃんが描く「よしえサン」そのもの、であったと思うのであります。

この意味をご説明する前に、KAI自身のことをお話しさせていただきたいのであります。

それは、KAIの長女、はるかのことであります。

はるかは、昨年8月25日、生誕の地と同じ京都で、28歳と言うあまりにも短い人生を終えたのであります。

この知らせを、すでにお酒を飲んでいた夕飯時に聞いて、酔いが醒める早朝を待って、東名を車を走らせるまで、KAIは一睡もしていませんでした。

おそらく、慟哭とは、こう言うことを言うのだと、このとき、はじめてKAIは理解したのであります。

京都までの6時間も、瞳から涙が流れるわけではなく、ただひたすら、滝のように心の中を涙が流れ続けたのであります。

その姿と対面し、その寝顔を、KAIはこれから生き続けるかぎり決して忘れることはないのであります。

その「寝顔」に、はるかの人生のすべてがあったと思うのであります。

はるかが、ただ「人のため」に何ができるか、ただこのことだけに生きた28年の人生であった。

あれから1年、はるかがずっと暮らした東京から遠く離れた京丹波の墓地に、つぎつぎとともだちがお墓に花を供えにきてくれたのであります。

人と人とは、例えば事故で右手を失ったときのように、常にある、ものがなくなると、その喪失感には、はかりしれないものがあるのであります。

しかし、この喪失感は、単に身体の一部である右手を失ったと言う、そう言う喪失感にすぎないのであります。

そうではなく、これは、身体そのものの喪失であります。

すなわち、人は、人、一人では生きているのではなく、きわめて多くの人に、手足のような部分的意味ではなく、身体そのもののチカラで、生かされている。この一つのチカラを、失う。

つまりは、そう言うことであったのであります。

はたして、はるかが、何人の人の生きるチカラとなっていたかは、いま知る由もないのでありますが、はるかの「寝顔」から、間違いなくこれを感じたのであります。

bisonくんもツイートしていますけれど、けつちゃんを通して、よしえサンが与えた元気と言うチカラにははかり知れないものがあるのであります。

心からご冥福をお祈りするしだいであります。 KAI