疑惑のリマインダー

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なんと、直属の部下が、その監督責任を問われるべき重大犯罪で有罪確定判決を受けたにもかかわらず、次官就任とは、あきれはてるばかりであります。

女性で16年ぶりの厚労事務次官、村木厚子さん(57)「落ち込まないで。あきらめないで」
そもそも、何が問題であるのか。これをご説明したエントリーがこちらであります。
上村勉元係長が今なにをしているのかがすべてを語る
今回は、この問題について、あらためて、みなさまにレポートするのであります。

今回のキーポイントとは、FDであります。

FDとは、フロッピーディスク。当時公官庁で広く使われていたワープロソフトである一太郎によって作成された文書が、保存された記憶媒体であります。

これが、2009年5月、厚生労働省の係長上村勉が逮捕されたときに、家宅捜査で上村勉の自宅から押収されたのであります。

この、FDに記録された公文書の原稿が、すべての秘密の鍵を握っているのであります。

そこで今回は、この今回の事件における一連の「疑惑」について、以下整理するのであります。

■なぜ、上村勉の自宅からFDが押収されたのか?

この事件で、最初に逮捕者が出たのは、2009年2月26日であります。

その後、問題となる「凛の会」の関係者が逮捕されたのが、2009年4月16日。

なんと、上村勉の逮捕まで、当初の逮捕から2か月以上の猶予があったのであります。

普通、結果論とはいえ有罪となる事件において、その証拠物件を、ぬけぬけと自宅に保存するなど、到底ありえないことであります。

この証拠隠滅をはからなかったということは、誰が考えても、これが「ワナ」であったことは、いまから考えればもろみえもいいところと言わざるをえないのであります。

このもろみえの「ワナ」にかかったのが、当時主任検事、前田恒彦。

■前田がかかった「ワナ」とは?

当初検察が書いた絵とは、どうであったか。

これを時系列に書くと、こうであります。
(日付は想像であります)

・5月25日 凛の会が村木厚子に催促。
・6月1日 上村勉が文書を凛の会に手渡した。

ところが押収したFDに記録されていた「公文書」原稿ファイルの日付とは、なんと6月8日であったのであります。

この日付では、裁判所に証拠品として、このFDの提出をあきらめざるを得ない。結果としても、これは証拠として裁判に提出されることはなかったのであります。

ところがであります。なにを血迷ったか、前田は、このFDの媒体に記録された日付を書き換えてしまった。

上村勉の自宅から押収されたFDにあった文書の日付とは、6月8日となっていたのであります。

前田は、これを6月1日に書き換えてしまった。

もちろん、こんなこと、だれも想像だにしていなかったのでありますが、検察から返却されたFDの日付が書き換わっていることに気が付いた。

これに気が付いたというのが、なんと村木厚子。FDが検察から返却されたのは上村勉の自宅であります。

なんでこれに村木厚子が、かかわって、しかも気づくのか。

まったくもって、不可解としか、言いようがないのであります。

しかし、これがスクープで報道されるのであります。

■疑惑の真相とは?

そもそも証拠物件を、逮捕されることが2か月以上前にわかっていながら、自宅に保管するのか?

ふつうは、とっくの昔にごみ箱にでも捨てるでしょう?

FDってどんな大きさか考えれば、有罪の証拠になるものをそのまま自宅に保管するなど、あり得ないのであります。

すなわち、これこそ「ワナ」であります。

しかもFDを作成したのは、なんと2004年6月。

こんな5年も前のFD、いったいなんで自宅に保管するのか。

あり得ない話であります。

と言うことで、以前にも書きましたが、メディアのみなさまには、「上村勉元係長が今なにをしているのかがすべてを語る」ことを、ぜひともご理解いただきたいのであります。

そして、続いてのお話が、急死をとげた吉田元所長であります。

やはり気になるのは、被ばくか否か?ということです。

吉田昌郎元所長が2012年に行った
手術前のインタビューがフライデーの2012年2月10日号にあったのですが、
そこでは、吉田昌郎元所長は食道がんであることを告白しつつも、
「被曝」との関係性を否定しています。

当時、吉田昌郎元所長は

「今の病状だけで言えば、放射線の影響は直接ないんじゃないかなぁ」

ということは、現場での放射能による被ばくによって、
死に至ったのではないということだと、
吉田昌郎元所長は考えていたようです。

しかし、検査の結果を見たとき、
その前の年になかったものが、
東日本大震災を経た後に突然以上が出てきたそうなのです。

その点については、

「おととしは医者にも何もなかったと言っているので、
まあ、やっぱりこの事故の、あれだと思うんですけども・・・」

この場面での「あれ」とは、
どうやら、放射能を浴びたということではなく、
福島原発の事態をなんとか収束しようとした際の
激務と心労による心身の疲労をさしているようです。

ということで、当時の一部の報道では、
吉田昌郎元所長のがんの原因は、被曝ではないと
している向きがありますが、
本当かどうかはわからないのです。

まず、東京電力は、
吉田昌郎元所長の被ばく量は約70ミリシーベルトだとして、
ガンと被曝との関係性は極めて低いとしています。

また、病状についても、
東大付属病院院長の門脇孝さんが
吉田昌郎元所長が当時大量吐血したとも発表しています。
吉田昌郎元所長の死と福島原発の放射能の被曝は?創価学会なの?

まことに不思議でありますのは、この放射能被ばく疑惑が、まったくもってメディアから消えてしまったことであります。

思い出していただきたいのであります。

『危篤』は否定されていない。情報開示を求めるネットの声の成果!→12/2東電発表.放射線医学総合研究所から病状の報告【12/1吉田昌郎前・福島第一原発所長は危篤状態のようだ】「高放射能に因る甲状腺癌の疑いが濃厚」-@Kiyoshi_IWATAいわた・きよし(岩田清)さん。「29日昼ごろ、吉田昌郎所長(56)が病室で大量吐血したと東大附属病院院長・門脇孝氏が発表」-dopeching杜夢より転載-(未確認情報)
山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル!
このとき、さまざまな情報がとびかいましたが、今回の結果をみれば、すべて「真実」であったと言うことであります。

すなわち、いま現在、「パニック」回避の大義名分で、情報統制が行われているのは、明らかであります。

まんがいち、あの「現場」で死に至ることが明らかになれば、誰も復旧作業に従事する者がいなくなる。

まことに、不都合な真実であるのであります。 KAI