情報戦とは--孫子の兵法応用編・シーズン2

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この戦いは、民主党政権崩壊と日銀解体によって、終結したかと思っていたのでありますが、そうは問屋が卸さないと言うことのようであります。

と言うことで、まずは、「システム」側の急先鋒、ウチダ先生であります。

しかし、偶然にも、「はじめに」のために指定された締め切りをとうに過ぎてから督促されてこれを書き出したちょうどその時に、日本維新の会の橋下徹共同代表の「慰安婦容認発言」が国外のメディアから批判の十字砲火を浴びるという事件がありました。
この発言をめぐる維新の会内部の意思不統一で、グローバリスト=ナショナリスト・イデオロギーの「尖兵」として我が世の春を謳歌していた維新の会も今は解党的危機を迎えています。安倍自民党も「侵略」をめぐる首相発言、靖国集団参拝、改憲、橋下発言に対する宥和的姿勢などが中国韓国のみならずアメリカ政府の不信を招き、ナショナリスト・イデオロギーの暴走を抑制せざるを得ない状態に追い詰められています。
「脱グローバリズム宣言」
千載一遇とばかりに、この橋下徹発言を「利用」するさまは、まさに「ハイエナ」であります。

みんなの渡辺喜美と同じく、かつてこの問題にどれほどかかわってきたと言うのでありましょうか?

え?

ウチダ先生?

橋下徹が、これまでどれだけこの問題に真摯に取り組んできたことは、まるで知らない。

しかも、自身は、一度として言及してきたことはない。

言い訳のように、こんな無責任きわまりない、大昔の記事を持ち出すのは、小賢しいとしか言いようがないのであります。

セックスワークについて
そこで、おなじみの、「グローバリズム」批判であります。
これら一連の「逆風」が日本におけるグローバル化趨勢が方向転換する歴史的な「転轍点」になるのかどうか、ただの挿話的出来事で終わるのか、それはまだ見通せません。でも、この20年日本を覆ってきた「支配的なイデオロギー」に対するある種の不安と倦厭感が国民の間に、ゆっくりではありますけれど、拡がりつつあるようには感じられます。  
この本は2013年7月の参院選の直前に発行される予定です。選挙で、グローバリスト=ナショナリスト的政治勢力に対する有権者の信認がどれほど減るのか、それとも支持率はこれほど国外からの批判があっても高止まりしたままなのか、私は興味をもって見守っています。私たちがこの本の中でそれぞれに主張してきた言葉がすこしでも理解者を獲得してきていたのであれば、選挙結果にそれなりに反映するはずです。そうなることを願っています。  
「脱グローバリズム宣言」
おなじみの、「国外」は批判していると言う「レトリック思考」丸出しであります。

と言うことで、今回の「シーズン2」では、この「知的」劣化を、あらためて詳細に検証していくことにするのであります。

「グローバリズム」批判とは、まるで伝統芸能のように、かつての「社会党」であります。

ただひとつかつての「社会党」と違うのが、結果的に「システム」側に位置していることであります。(そういえば自民党と結託していたと言う意味で、同じといえば同じだ!)

この「構造」をご理解いただくためには、まずは、こちらをお読みいただきたいのであります。

6月12日 23時47分反政府デモが続くトルコでは、現地時間12日夕方、エルドアン首相とデモ隊の代表らとの対話が始まりましたが、警官隊とデモ隊との激しい衝突で双方の対立が深まるなか、事態打開の糸口が見いだせるのか、予断を許さない状況が続いています。

トルコでは、先月末からイスタンブール中心部の再開発計画をきっかけに、エルドアン政権に対する抗議デモが各地に広がり、11日から12日未明にかけて、警官隊とデモ隊の間で激しい衝突となりました。
デモ隊がイスタンブール中心部の公園などで衝突後も抗議行動を続けるなか、エルドアン首相は、事態の収束に向けて、現地時間12日夕方、デモ隊の代表らとの対話を始めました。
首相と対話をしているのは大学教授や芸術家、若者を代表した学生など合わせて11人で、デモ隊の代表者は、このあと話し合いが終わりしだい、記者会見をすることにしています。ただ、エルドアン首相は「忍耐は、限界に近づいている」などと述べて、これまで反政府デモに強硬な姿勢をとり続けてきたほか、デモ隊の側でも、警官隊との衝突で政府に対する反発が一層強まっていることから、対話によって事態打開の糸口が見いだせるのか、予断を許さない状況が続いています。
トルコ 首相とデモ隊の対話が始まる

この「対話」の結果の、本日の警察による強制「排除」であります。

この事態を、ウチダ先生の「脱グローバリズム宣言」では、かなしいほどまでに、なにも説明できないのであります。

と申しますか、このトルコの「危機的」状況に対して、「脱グローバリズム宣言」そのものが、現政権の「論理」そのものであることに、お気づきいただきたいのであります。

ええ?

わからん?

もっともであります。

ご説明するのでありますが、「脱グローバリズム宣言」とは、要するに、「競争」、「市場」の否定であります。

トルコでいま起きていることは、この「否定」に対する「反動」であります。

これを、日本では、まともに「選挙」と言う「競争」原理が機能しているだけまだましであったと、つまりはそう言うことであります。

もちろん、来る参議院選挙、「私は興味をもって見守っています」とおっしゃるウチダ先生におかれましては、まさかのこの「競争」原理に、期待するなどと言う、「自己矛盾」を清く受け入れることができるのであります。

そして、「結果」は、受け入れることができない。仏教的輪廻の連鎖であります。 KAI