「言い方が悪い」と言う反論はなぜ最強なのか?(2)

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前回の、このテーマのお話に対して、「女性」以外の「批判者」、例えば渡辺喜美はどうなのよ?とのご質問がありましたので、これにお答えするのであります。

その答えのキーワードとなりますのが、「タブー」と言う「概念」、と言いますか、「感情」の問題であります。

「タブー」とは、「内なるもの」の中にある「外なるもの」の存在を言うのでありますが、今回の慰安婦や風俗といった「性」の問題こそ、「批判者」にとって「タブー」であり、すなわち「外なるもの」となっていたのであります。

いわゆる、公に触れて欲しくない、そういった種類の問題であったのであります。

これを、渡辺喜美は、「歴史認識が違う」と言って条件反射的に反発したのでありますが、そもそもいったい渡辺喜美はこれまでいつどこでこの「歴史認識」なるものについての見解を披露してきたのかと言えば、KAI個人の記憶をたどる限りにおいて、皆無と言っても言い過ぎではないと思うのであります。

つまり、実は、本来は「歴史認識」ではなく「性認識」であったのでありますが、この「タブー」意識が、この言葉さえ口にすることを憚られたと、そう言うことであったと、KAIは思うのであります。

そして、渡辺喜美以外の「批判者」は、この「タブー」意識から、橋下徹の、当時は「必要」だったと言う、この「必要」発言を批判のターゲットにすることによって、「性」を「タブー」として再び隠蔽化を図ろうとするのであります。

いわく、男性としてのプライドがないのか、女性を利用しようとしている、女性の人権蹂躙、女性蔑視、などなど、ここに引用するのもいやになるほどの罵詈雑言の嵐であります。

これに対して、橋下徹がこうつぶやいた。

6月のロンドンサミット「戦場と女性」において、慰安婦を利用した日本は自らの反省とともに、世界各国が戦場でいかに女性の人権を蹂躙したか歴史を直視するリーダー役を務めるべきだ。日本の不当な侮辱を晴らすとともに、未来に向けて女性の人権を大切にする決意を示すべきだ。
橋下徹?@t_ishin、2013年5月19日 - 4:13
さすがであります。

公のロンドンサミットと言う場で「戦場と女性」がテーマになると言って、「タブー」化を図ろうとする「批判者」たちへ、みごとなまでの強烈なパンチをあびせるのであります。

これがどう言うことかと、いまひとつご理解いただけないかたに対して、もう少し、この「戦場と女性」と言う問題が、来月行われるロンドンサミットの主要な議論のテーマになったことの、その意味をご説明したいと思うのであります。

通常、サミットのテーマと言うのは、目下の世界的に共通とする「大問題」を対象とするのであります。

ここであらためて、「批判者」の方々を含めまして、ご理解いただきたいのは、この「テーマ」は、今回の橋下発言問題が発覚するよりなにより、ずっと前から決まっていた、そんな「テーマ」であったのであります。

これが「意味」することを、みなさんは、おわかりいただけますでしょうか?

いま議論すべき世界的「大問題」が山積するなか、もちろん、いまさら、70年前の旧日本軍の悪行を取り上げようなどと言うものではないと、かように思われるかもしれないのでありますが、なんと、韓国系アメリカ人のロビー活動および韓国人国連総長による、安倍たたきそのものが目的であったのであります。

もし、今回の、橋下発言問題が発覚して国際的な議論が行われないまま、サミットに出席した安倍が、いかなる発言をすることになっていたか。これをご想像いただきたいのであります。

今回の問題に対する安倍の国会答弁からも明らかなように、この答弁に対して、袋叩きにあうことになっていたのは、まず間違いないのであります。

この意味で、「わが党は明らかに立場が違う」などといって逃げた安倍は、今後、橋下徹に足を向けて寝れないと思い知るべきなのであります。

すなわち、明日の橋下徹の海外向けの発言こそ、サミットにおける日本の「公式見解」として世界中に発信されることになるのであります。

ここにおいて、「性」を「タブー」として隠蔽しようと画策してきた「批判者」たちは、もののみごとに木っ端微塵に粉砕されることになるのであります(くどいですけど)。 KAI