またまたウチダ先生が、話題をふりまきまくっておられるようでありまして、それはそれで日本の「論壇」が、すこしばかり健全化(オープン化)されつつある証拠ではないかと、KAIはおおいにこれを歓迎するのであります。
まずは、ウチダ先生の「オピニオン」でありますが、まずこれをお読みになった方で、この冒頭の「国民国家」についてのウチダ「定義」なるものを、この意味も含めてこれを正確に理解し、かつ、これに同意できる人は、いったいどれくらいいらっしゃるのか。
国民国家というのは国境線を持ち、常備軍と官僚群を備え、言語や宗教や生活習慣や伝統文化を共有する国民たちがそこに帰属意識を持っている共同体のことである。平たく言えば、国民を暴力や収奪から保護し、誰も飢えることがないように気配りすることを政府がその第一の存在理由とする政体である。言い換えると、自分のところ以外の国が侵略されたり、植民地化されたり、飢餓で苦しんだりしていることに対しては特段の関心を持たない「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)政治単位だということでもある。恐らく、大半の方々が、この文章を読み飛ばされ、そのうえで、ウチダ「オピニオン」の是非を論じられていると、かようにKAIは思うのであります。
(朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿)
あらゆる議論において、「定義」こそ、「すべて」であります。
「国家」を、いかに「定義」するか。
議論とは、ここからスタートするのであります。
そして、この「定義」には、「哲学」がいるのであります。
今回のレポートとは、前回同様、いかにこの「哲学」が不在しているのか、これをご説明するのであります。
案の定、これも前回ご指摘させていただきましたとおりでありますが、さきほどのウチダ「定義」の根拠となる「哲学」とは、内なるものと外なるもの--その本質とは?と言うエントリーのなかで例示させていただきました「同心円概念」を根拠とするものであります。
すなわち小沢一郎の国連中心主義と、まるで一緒であります。
んん?
よくわからんけど、と言う方々のために、もう少しこれをわかりやすくご説明するとすれば、「哲学」とは「原理」であります。
つまり、小沢一郎の国連中心主義「原理」であります。
ウチダ先生においては、グローバル資本主義「原理」なるものが、現在の日本のすべての事象を説明することができると言う論を展開なさっているのでありまして、普通はこれが「原理」であり、「哲学」となるのであります。
ところが、ここでご注意いただきたいのは、ウチダ先生は、このグローバル資本主義「原理」なるものを、「批判」しているのであります。
つまり、現在の日本の歴史上のあらゆる「事象」を説明できると「主張」する「原理」は認めるけれど、これには「同意」できない、と言う。
では、その同意できないと言う「根拠」となる、「原理」および「哲学」とは、いったいなにか?
これが、ロジック思考と言うものであるのであります。
あくまで、まずは、あなたの「哲学」を確認することから、すべての議論はスタートするのであります。
と言うことで、振り出しにもどって、「国家」についてのウチダ「定義」なるものの、「原理」ないし「哲学」はいかなるものであるのか。
これまでの議論において、もはや明確でありますのは、グローバル資本主義「原理」を批判する限りにおいて、実は、自身が明確に自覚、ないし、意識する「哲学」なるものを持ち合わせてはいないのであります。
BLOGOSには、さまざまな意見が載るのでありますが、人を「批判」する論者に共通するのは、人の「哲学」を批判するだけの、みずからの「哲学」は決して語ることがないと言う、冷酷な真実であります。
つまり、論壇的寄生虫、であります。
人の「哲学」を否定することが、みずからの「哲学」であるとの存在証明と化しているのであります。
でありますから、ウチダ先生の、小沢一郎的国連中心主義「原理」であります。
今回は、この「国連」が、「グローバル資本主義」に入れ替わった、ただこれだけのことだったのであります。
でありますから、「国家」が、「グローバル資本主義」の「同心円」にいるとの認識であるかぎり、あらゆる「倫理的」行為も、「グローバル資本主義」の価値観のもとにあって、つまりは、こうなると言うのであります。
「身びいき」な(「自分さえよければ、それでいい」という)政治単位だということでもある。批判する「哲学」に基づく「定義」を根拠に議論を展開した結果がどうなるか、これこそが「レトリック思考」の典型の極みと言うことであります。
(朝日新聞の「オピニオン」欄に寄稿)
蛇足ではありますが、こちらもお読みいただけますなら、憲法論議においてもなお、ウチダ先生にとっては、「グローバル資本主義」原理を批判しながら、この「原理」で世の中が動いていると、いまひとつ「哲学」の不在を証明されていると言う、味わい深いものがあるのであります。 KAI
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