神はサイコロを振らない
これは、アインシュタインが残した有名な言葉でありますが、今回の議論にとって極めて重要な示唆を与えているのであります。(アルベルト・アインシュタイン、Wikipedia)
アインシュタインは、当時量子現象である「波動性」について、これを説明するための確率論的解釈によるアプローチには、受け入れがたいものがあるとして、1926年12月マックス・ボルンに宛てた手紙の中でこの言葉を記していたのであります。
しかし、当時の量子力学の理論の流れは、このアインシュタインの意に反するものとなるのであります。
しかし、現実の物理学の展開は、アインシュタインが望んだ方向にはなされなかった。シュレディンガーが用いた電子の波動関数は、間もなく電子そのものを表すのではないと判明、1926年のボルンの主張に基づいて、ある場所に電子が存在する確率を表す「確率振幅」であると解釈されるようになった(*)。分布関数を使ってブラウン運動の解析を行うなど統計力学の分野で優れた業績を上げていたアインシュタインの目に、確率振幅と解釈し直された波動関数は、現象の背後にある微視的な確率過程を粗視化したものと映ったに相違ない。しかし、量子力学の建設者たちは、そうした根源的な実体を解明する努力を怠り、現象論的な議論に終始した(ようにアインシュタインには見えた)。あまつさえ、古典的には解釈不能に見える量子力学の独特の性質に対して、晦渋な哲学的根拠付けを試みることまで始めたのである。その代表例が、ボーアによる相補性原理の主張である。とは言え、アインシュタインのこの言葉が間違いであったかと言えば、そうではない。
(アインシュタインと量子力学)
昨年来のヒッグス粒子発見のニュース(ヒッグス粒子発見、ほぼ確実に)が示すように、途中紆余曲折はあったものの、最新の物理学においては、「神はサイコロを振らない」とアインシュタインが言った言葉の真意のとおり、究極の最小単位の物質の発見こそが、最重要テーマとなっているのであります。
これこそが、「確率論」ではなく、根本「原理」をと主張するKAIの、思想的根拠をなすものであります。
いくら「統計理論」に基づいて、当該理論の精緻を極めてみても、宇宙の「真理」なるものに、私たちが近づくことは、永遠にありえないと、KAIはいま強く確信するのであります。
では、天気予報や地震予知と言った、簡単にはその「原理」なるものの、その存在自体を含めてみいだすことのできない、いわゆる「複雑系」と呼ばれる現象に対して、私たちは、この統計理論以外に、いかなるアプローチする方法を持っていると言えるのでありましょうか。
これが、問題であります。
そして、その答えとは、「YES」であると言うのが、今回みなさまにお届けするレポートであるのであります。
もちろん、いまの時点でその道筋が明確に見えているわけではなく、ある意味試行錯誤の繰り返しを覚悟する必要があるのであります。
と言うことで、まずは、前回予告しました「前兆」についてであります。
ただし、単なる「前兆」についてではなく、「前兆」の「科学」について、これを数理的に理解し、できれば「モデル化」することによって、「前兆」が持つ本質的な「意味」を理解することを、当面のこのレポートの目標とさせていただくのであります。
そこで、これも前回例示しました、河口湖の急激な水位の低下であります。
これ自体が、「富士山噴火」の「前兆」であるやもしれないのでありますが、河口湖の水位低下それ自体にもそれに対する「前兆」があったのであります。
その「前兆」とは。
この太陽の極反転による磁気異常が、いかなるかたちで地球生命と地球環境自体に影響を与えているのか、きわめて興味深い研究テーマでありますが、まずはその前に、この影響をまず間違いなく受けていると思われるのが、こちらのお話であります。そうです。あの、1年前の太陽の極反転であります。
(大気の反逆、2012年5月1日)
この、一見、互いになんの関係もありそうにない、「太陽の極反転」と「河口湖の水位低下」、「河口湖の水位低下」と「富士山噴火」、これら互いの二つの事象の間にいかなる関係があって、その一方がなにゆえに他方の現象に対する「前兆」となりうるのか。
これを理解するためには、当然がごとく、「因果律」に基づく「原理」では、まったくもって説明することは不可能である、と言うのは確信もって言える事実であります。
では、どうすればいいのか。
それは、「因果律」を否定することから、まず始まるのではないか。KAIは、いまかように考えているのであります。
タイムマシーンの存在を肯定する意味では、決してないのであります。
そんな奇抜なアイデアは、まったく必要ないのであります。
そうではなく、KAIの疑問は、なぜみなさんは、まったくもって無条件に、すべての事象が、時間軸上の流れとともに流れていると思うのか、であります。
例えば、明日大学受験の本番と言うときに、胃が痛くなったと言うのは、明日の試験が現在の胃痛の「原因」であると、なぜ言えないのかと言う、疑問でもあるのであります。
もちろん、明日の受験を「予知」する「脳」の働きと言うメカニズムがこれに関与していることは明らかでありますが、自然現象に、この「脳」の働きに相当する仕組みが、もし存在するとすれば、もはや「因果律」は存在しないことになるのであります。
そして、これを考える上でヒントになるのが、量子力学における、時間と言う次元とは無関係のゲージ対称性の存在であるのであります。
私たちは、時間軸の中に生きているために、時間軸が反転する世界を想像することはできないのであります。同様に、光の速度を超える物質の世界も、まったくもってイメージすることができないのであります。でありますから、「前兆」こそが、これから起こることの「結果」ではないか、と言うことであります。同じ理屈で、宇宙の始まりであると言われるビッグバン以前の世界も、想像することができないし、加速度的に膨張しているといわれる宇宙の果ての終焉さえこれがいかなるものであるのか、まるでわからないのであります。
だからといって、わからないから存在しないとは言えない。
もし、この「次元」が存在するとするなら、当然この「次元」におけるゲージ対称性が存在しているはず。これが量子振幅の無限大となって現れているのではないかと、KAIはかように考えるのであります。
(鏡像対称性と繰り込み可能性の関係について)
ここで疑問となるのが、もしそうだとしても、「太陽の極反転」の「原因」に「河口湖の水位低下」がなるはずない、と言うものであります。
もちろんですが、そんなことは言ってはいないのであります。
そうではなく、二つの事象は、見かけ上時間のずれがあるように見えても、あたかも同時刻に発生している、「同じ」現象と考える必要があるのではないか。つまりは、そう言うことであるのであります。
これを、数理的言葉を使ってご説明するとしますと、例えばシュレディンガー方程式であります。この方程式には、時間と言う次元が隠蔽され、時間は明示的に存在しないのであります。
もちろんこれは、統計理論においても同様となるのであります。
しかしながら、であります。
この「時間」と言う次元と独立した次元に基づく、事象を説明する方程式が存在するのではないか。
これが、今回の、まず「第一の仮説」とするのであります。 KAI
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