「正統性」思想において、「正統性」には偽りの「正統性」と言うものがあるとするのでありますが、今回の金融緩和における抵抗勢力の理論的支柱となった「日銀理論」なるものもまた、偽りの「正統性」の典型であったのであります。
そして、これが、いわゆる役人の「無謬性」に基づくものであったことが、今回高橋洋一氏によってあきらかにされたのであります。
今回は、これを詳細にレポートするのでありますが、まずは偽りの「正統性」であります。
これが「正統性」のすべてであります。ここに記しましたとおり、唯一偽りの「正統性」を正すことができるのが、真の「正統性」であるのであります。ものごとには、必ず、「善悪」、「正邪」の両面があるのであります。
しかし、「正統性」には、これがない。あるとすれば、偽りの「正統性」であります。
「時間軸」上においては、これを、例えば歴史問題における解釈のように、「正統性」のあるなしで論じることには、まるで意味がないのであります。そうではなく、あたかも「整合性」が取れているかのように見えるのが、偽りの「正統性」であります。
とは言え、あくまで「見えている」だけであります。
やがては、真の「正統性」によって、これは正されることになるのであります。もちろん、そのための「時間軸」上の猶予を要することは、いまさら申しあげるまでもないのであります。
(「正統性」思想とは−−正義と正統性)
「戦力の逐次投入はせず、現時点で必要な措置をすべて講じた」この黒田日銀の、いったいなにが真の「正統性」であるのか。黒田総裁が決定会合後の記者会見で発したこの言葉が、今回の政策転換の最大のポイントだ。
日銀はこれまで、緩和の行き過ぎによる過剰マネーが不動産価格の高騰といった「資産バブル」を引き起こすリスクや、大量の国債購入が国の借金を穴埋めする「財政ファイナンス」とみられることを常に心配してきた。丑年の白川前総裁は、まさに"牛歩"のような「石橋をたたいて渡る」慎重さで金融政策を進め、後ろを振り返ってリスクの芽が出ていないことを確かめてから、次の緩和策を積み上げてきた。
("案ずるより攻め" 黒田流と白川時代の違い)
白川日銀総裁の4月18日のニューヨークでのスピーチで「金融環境は日本は先進国で最も緩和的にもかかわらず、デフレから脱却しない最大の理由は成長率が徐々に低下していることだ、中央銀行らは出来ない課題も明確に認識する必要がある。遂行できない政策は構造政策だ」と述べたと伝えられる(4月20日読売新聞)。ここに引用されている読売新聞の記事にありますとおり、白川前日銀総裁は、この金融緩和を「できない課題」と明言し続けてきたのであります。
--日銀思想の敗北は鮮明、脱デフレ・円安・株高が見えている--
(「正統性」思想とは−−日銀と正統性)
なんのことはない、黒田日銀は、あっと言うまにこれが「できる課題」であったことをものの見事に証明して見せたのであります。
ここでご注意いただきたいのは、白川日銀は「できない課題」と言っていたのであって、決して「できる課題」であるけれど「やらない課題」とは言ってはいなかったってことであります。
この白川日銀のとってきた一連の金融政策の「正統性」が、黒田日銀の「できる課題」と言う証明によって、まったくもって「偽り」であったことが白日のもとにさらされることとなったのであります。
そこで、今回は、この偽りの「正統性」とはいったいどのようにして生み出されていったのか、高橋洋一氏の記事を参考にして、これを解明していくことにするのであります。
その高橋洋一氏の記事とは、こちらであります。
たしかに、金融緩和は資産価格に影響を与えるが、バブルになった場合にはその要因を見極める必要がある。80年代後半の日本のバブルについて、筆者の政策担当者としての現場感覚は、証券会社や金融機関の違法まがいの取引だった。それを日銀は勘違いして、金融引き締めを行ったとしか、筆者には思えない。要するに、80年代後半に起こったバブルに対する金融引き締めに始まり、直近の白川日銀の量的金融緩和政策に至る、日銀によることごとくの「金融政策」と言う「実績」が、まずもっていの一番にあって、これらすべてが「無謬」であると説明できるようにする理論を構築するのが、いわゆる「日銀理論」の目的であったのであります。?案外、このあたりが、日銀はこれまでインフレ目標を嫌っていた要因かもしれない。バブル時の日銀のミスがばれるからだ。
?この失敗はその後の日本経済にとって大きかった。バブル崩壊の損失を大きくしただけでなく、バブル潰しは正しかったと言い張り、その後の金融引き締めをすべて正当化してきたからだ。日銀官僚には無謬性があるので、常に正しいというが、これは一度間違えると、無謬性にこだわるあまり、その後は間違え続けるということを意味している。
(バブル再来懸念に答える、その生成と崩壊への対応を検証する)
なんと、「理論」が「政策」の先にあるのではなく、「政策」の後に「理論」があったと言う、まるで「神学」そのものであったと言う信じがたいお話であったのであります。
宗教、特にキリスト教において、その教理を体系化し、信仰の正統性や真理性、また、その実践について研究する学問。ここで、では具体的に日銀による「瑕疵」がどこにあるのか、これを見ていくことにするのであります。
(神学)
まずきっかけとなった、三重野日銀総裁(当時)によるバブル潰しと言う金融引き締めの「瑕疵」であります。
?日銀も動いていた。日銀では、公定歩合の上げで「勝ち」、下げで「負け」という言い方だったが、この表現を使えば、公定歩合については1980年8月9%から8.25%に引き下げて以来、87年2月に3%から2.5%に引き下げるまで10連敗だった。89年5月に2.5%から3.25%に引き上げて11連敗を食いとどめた。98年5月も勝ちだ。資産バブルとインフレバブルとはまったく別物であるとは、バーナンキ・FRB議長の過去に証言するとおりであります。?その当時、三重野康氏は副総裁だった。89年12月に日銀総裁になったが、この連勝を続けたかったかもしれない。就任直後の12月も勝ち、90年3月と8月も勝ち、5連勝になって、公定歩合は6%にまで上がった。このときにマスコミなどからは「平成の鬼平」と称賛された。
?その当時、大蔵省から日銀を見ていて、当時の金融引き締めには奇妙な違和感があった。というのは、日銀は物価の番人というが、それには株や土地の価格は含まれていない。であれば、株や土地の値上がりは、大蔵省や国土庁がまず対応すべきだろうと。
?また、岩田規久男日銀副総裁も、当時日銀のマネーストックの伸びの低下を問題視していた(下図)。
(中略)
?この疑問は続いていたが、筆者がプリンストン大に行った時に氷解した。バーナンキ・FRB議長(当時プリンストン大経済学部長)から、インフレ目標の話を聞いたときだ。インフレ目標の物価には株や土地の資産価格が含まれるのかと聞いたら、含まれないという返事だった。
(バブル再来懸念に答える、その生成と崩壊への対応を検証する)
であるにもかかわらず、三重野康は過剰な金融引き締めを強行したのであります。
これによって日本経済は取り返しのつかないダメージを受け、デフレ社会と言う奈落の底へとまっさかさまに転落していくことになるのであります。
以降必死に這い上がろうとする日本経済に対して、日銀は「瑕疵」を繰り返すのでありました。
そして白川方明の登場であります。
この時には、すでに「日銀理論」なるものは完成し、白川総裁はこれを根拠に金融政策にまい進していくことになるのであります。
原田泰は日本銀行の理論(日銀理論)について「これまで日銀は、銀行貸出が伸びない限り金融政策には効果がないので実体経済には何も起きない。金利がゼロになったら金融政策は何もできない。物価は金融政策では決まらない。何も起きないからとどんどん量的緩和を進めていくと日本銀行のバランスシートが悪化し、円が暴落する。日本銀行のバランスシートの拡大は通貨の信認を揺るがす。一度インフレになったら止めることは出来ずハイパーインフレになると唱えてきた」と述べている[12]。「日銀理論」を批判する原田泰が解説するとおり、「金利がゼロになったら金融政策は何もできない」と言うのが「日銀理論」のポイントであります。
(量的金融緩和政策)
でありますから、日銀のバランスシート拡大に繋がる「量的緩和」は、端からその効果に否定的で、白川総裁をして「できない課題」と言わしめていたのであります。
もちろん、金利には、「名目」と「実質」があり、「名目」金利がゼロであっても「実質金利」をとおして「通貨価値」に繋がるメカニズムがあるのでありますが、これを無視ないし否定しないことには、「日銀理論」による「無謬性」は完成しないと言うわけであります。
そして、これが、黒田日銀は、まったくもってものの見事にこの「日銀理論」を木っ端微塵に粉砕したと言う、今回のお話のすべての結末だったのであります。
いやはや、久しぶりに痛快の、ひとことであります。 KAI
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