「正統性」思想とは--人が生きるその「使命」を理解するために

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いまのいま、私たちは、いかなる時代を生きているのか。

もちろん、この理解にとって、惰眠をむさぼっていた私たちの頭を烈震した、2年前の3.11大震災が決定的影響をおよぼしていることは、だれにも否定のできない真実であります。

しかし、この真実とは、いかなる意味があるのか。残念ながら、これを正確に理解している者が、いまだ誰もいないと言うことも、これまた真実だったのであります。

いま、時代と言う「歴史」として、なにが起こっているのか?

世界中はともかくとして、少なくともいまのいま、この日本と言う「国家」における、その国家の有史千数百年におよぶ歴史において、いかなる意味があるのか、と言うことであります。

そのヒントになる記事をみつけて、なるほどとわかったことを、今回はレポートするのであります。

その記事といいますのが、こちらであります。

?これら3つの存在は、昨日と同じ今日が続いていく限りは、ある種の勝ち組であったと考えることもできます。古い身分制度や権威にしがみ付いても問題が起こらない平穏な時代、過去の学問を学んでも、その学問が実用として効果を発揮してくれる時代、当事者意識がなくとも、周囲や指導する人になんとなくついていけば安泰だった時代、そうした古き時代の勝者が、新しい問題や変化に対処できないとき、過去に依存していた存在はすべて敗退することになります。

?この変化が一つの業界で行われるなら、ビジネス上のイノベーションと私たちは呼びますが、国家規模で起こった場合、大変革期と呼ぶ歴史の一ページとなるのでしょう。江戸末期には、西洋砲術(大砲の技術)と日本国内の砲術には相当の性能差が存在し、西洋列強と戦闘になった薩英戦争や下関戦争では、薩摩藩と長州藩が共に敗退しており、江戸幕府も西洋列強との接触では問題を解決することができず、1858年には不平等条約といわれる日米修好通商条約を締結しています(同条約の解消には約40年の月日がかかった)。

『学問のすすめ』は刀を指したサムライの時代から、ガス灯が煌めく明治への大変革を成し遂げた時代を代表する啓蒙書です。リアルタイムで日本と世界の劇的な変化を体験した福沢諭吉は『学問のすすめ』を通じて、現代の私たちに変革期に消えゆく存在がなんであるかを、改めて教えてくれているのです。
なぜ、今『学問のすすめ』なのか?同じ大転換期に書かれた奇跡のサバイバル書。

?諭吉が書いた『学問のすすめ』という書籍は、単純に修身の教科書のような読み物ではなく、日本の危機的状態に対処するためのサバイバル戦略と、国家と個人の変革を指南する切実な内容であることがおわかりいただけるのではないでしょうか。

『学問のすすめ』を日本の変革を導く戦略指南書であると捉え、以下の7つの視点で分析することで、真の姿をより鋭利に描き出すことができるようになります。
同上

これを読ませていただいたKAIは、はたと気づいたのであります。

3.11とは、いまのいまこの日本にとって、かつての元寇でありペリー来航であったと。

と、これだけではなにがなんだかわけわかめ、でありますので、もう少し丁寧にご説明するのであります。

いまの時代を、明治維新との類似でもって説明する方々は、まったくもって間違ってはいなかったのであります。

ただ、これが、「学問」における「維新」であったとの理解に限っていえばと言う限定付きにおいてであるのであります。

すなわち、こう言うことであります。

(2)実学という新たな定義の威力

?古い学問の賞味期限切れと、江戸幕府が海外情勢の変化に対処できなかったことには密接な関係がありました。日本が国家として、日本人が個人として生き残るために「学習対象を切り替える」必要性を諭吉は鋭く論じています。
同上

みなさんは、3.11でいかにいままでの「学問」が無力であるのか、骨身にしみて理解したはずであります。

既成の「学問」に依拠している限りにおいて、私たちの「生命」は保証されない。この厳然たる真実に、いま私たちは、直面しているのであります。

このただひとつの真実と言う一点にこそ、いまのいまと言う時代の運命とも呼ぶべき真実があるのであります。

そして、明治維新と同様に、これを理解し、これに目ざめて行動をおこした若者がいるのであります。

 既報の通り、東京大学の西田友是教授を所長に迎えた、本格的な研究機関であるUEIリサーチを、4月から新設することにした。

(中略)

 どうせ一度しかない人生なのだ。
 僕は自分たちの発明で、世界がまるごと変わるようなことがしたい。
 ベンチャー企業をやるというのは、そういうことであるべきなのだ。
 個人的な欲望を満たすためでなく、人類全体に影響するような真の革新、イノベーションを起こし、人類の歴史に永遠に消えない爪痕を残すために死ぬのだ。

 UEIも、有限会社から数えるともうすぐ設立して10年が経つが、ベンチャー企業として舵取りをしてからはまだ2年しか経ってない。

 売上高はまだ10億円。10億円の売上高というのは、銀行からやっと会社として認められる程度の小さな扱いのものでしかない。敵は1兆円企業。約1000倍の差がある。だが10年前は、この差は10万倍だった。十年かかって1/100まで縮めることが出来た。さあ問題はここからどうやって差を詰めて行くかだ。

 企業として最低限の規模になって、ひとまず学術研究機関をまるまるひとつ抱えるのに充分な予算が確保できるようになった。これでようやく世界に互する発明を行う下地が出来た。そのために世界でも屈指の、我が国が有する最高の頭脳を招聘したのだ。最高のタイミングだった。

 そして我々が起こす真のイノベーションはここから始まるのである。
 それがベンチャー企業である我々UEIが、学術研究機関を設置する大いなる意味だ。

 発明こそが我らが生命線、革新こそが我らが生きる目的なのだ。
高等研究機関をベンチャー企業が設置する理由

なんと、東大の現役の研究室を、たった年商10億しかないベンチャー企業が、引き取った。

この話を知って、KAIは歓喜したのであります。

これこそが、維新であると。

そうだったのであります。

いまのいまの時代とは、賞味期限切れの既成の「学問」に支配された、江戸時代同然の時代であったのであります。

すなわち、東大をはじめとした学閥に支配された「知」の世界。

決して、目の前の「現実」に向き合おうとしない人々であります。

もちろん、この維新の旗手として、ノーベル賞山中伸弥を忘れるわけにはいきません。

しかし、問題は「アプリケーション価値」社会であります。

これを、変革する以外には「平成維新」の未来は、ありえないのであります。

そして、これに、あなた自身は、いかに当事者となるのか。これにいかにあなたはかかわっているのか、このあなたの「使命」とはなんであるのか。以下次回にご説明するのであります。 KAI