今朝の日経ビジネスオンラインから来たメルマガのタイトルには、驚いた。
【NBO】アンディ・ルービンの辞任とグーグルの憂鬱/「問題大国」であること、それが日本の強みです。(3/22)え?
なんで、アンディ・ルービン辞任が、グーグル憂鬱に繋がるの?
と思って開いた記事が、こちら。
3月13日、グーグルのスマートフォンなどモバイル機器向けの基本ソフト(OS)、Android(アンドロイド)部門のトップであるアンディ・ルービンがその職を辞し、同部門はパソコン向けOSのChrome(クローム)部門と統合されることが発表された。アンディ・ルービン辞任が「社内ポリティクス」だと言いながら、「社内ポリティクス的に何があったのかは知る由もない」って、これはみごと、KAIは釣られてしまったのであります。こう書くと、ただの大企業の人事異動と組織変更のように聞こえるが、私にとっては、その昔「スティーブ・ジョブズがマック部門を辞任」した時と同じパターンの衝撃の事件と映った。
現在、7億5000万人ものユーザーに使われている世界最大のモバイルOSを創り出して育ててきた大スターがその地位を離れるだけでなく、その後任がユーザーの目から見ればはるかに存在感の小さいパソコンOSの部門長であるスンダル・ピチャイ氏なのである。しかも、業績が悪いわけでもなんでもなく、むしろライバルのアップルが株価低迷で苦しむという、いわば「敵失」のチャンスが訪れているにもかかわらず、なのである。
能天気な会社とのイメージを醸し出すグーグルだが、もちろん、大企業にありがちな社内ポリティクスと無縁ではない。
(中略)
社内ポリティクス的に何があったのかは知る由もないが、こうした一連の動きは、同社の経営に関しての強いシグナルを発している。それは私には、大企業としての経営に共通の憂鬱と、モバイルの世界で大きくなりつつある乱気流であるように見える。
(アンディ・ルービンの辞任とグーグルの憂鬱、「モバイル国の乱」が普通の会社化を促す(1/4)(2/4))
こんなこと「社内ポリティクス」でもなんでもないのであります。
って、えらそうに申しあげますのも、3日前すでにこれからご紹介する記事を読んでいたからであります。
経営陣の狙いは、AndroidとChrome OSの統合だ。Androidは市場では成功しているが、HTML5ベースのChrome OSの方がGoogle全体の戦略との親和性が良い。そこで、二つのグループを統合し、最終的にはデスクトップとモバイル両方の共通プラットフォームを作りたい、と考えているのだ。と言うことで、これだけでは単に中島聡氏の慧眼をご紹介するだけのエントリーで終わるのでありますが、問題は「Chrome OS」とはなにかであります。当然、2人も船頭がいたらプロジェクトは酩酊するので、Andy Rubinと(Chrome OSの開発責任者であった)Sundar Pichaiのどちらかを統合チームの責任者にしなければならない。
そこで経営陣が選んだのが Sundar なのだ。
経営陣としては、中長期的には Android の Java API から、Chrome OS の ウェブAPIへのシフトを押し進めたいと考えているのだろう。Androidには相変わらずセキュリティ上の問題が沢山あるし、「すべてをウェブ・アプリケーションとして提供する」というGoogleのビジョンには Chrome OS の方が相性が良いからだ。
Android の生みの親であるAndyが責任者である限り、そちらへの方向転換は簡単に出来ないと判断したのだろう。
Sundar を開発責任者として、まずはChrome OS と Android を統合し、同時にHTML5 ベースのAPIの更なる進化を加速し、全てのアプリケーションがオンデマンドでネットから提供される(つまりブラウザー上で走る)世界を実現する。私がGoogleの経営陣であれば、やはりそう考えるだろう。
(Andy Rubin が Android の開発責任者から降りた件について)
すなわち、みなさんご承知のように、Chromeとはグーグルが開発したブラウザであります。このブラウザに特化したOSであるといいますのが、Chrome OSと言うわけであります。
これが、Androidや他の会社のOSと、なにが違うのか?
まさに、これこそが、今後を占うすべての「ポイント」となるのであります。
そして、その違いとは、中島氏が言うところの「HTML5ベース」にその答えがあるのであります。
いまある、Chrome OS以外のすべてのOSにおいては、そこで動作するアプリケーションは、なんでもありであります。なんでもあり、とは具体的には、そのOSの上で動くひとつひとつのアプリごとに、その使い勝手でありますところの、いわゆるユーザーインターフェイスと言われるものが、まるでバラバラであると言うことであります。
これに対して、ブラウザ上では、すでにみなさんが体験されていますように、基本的な操作方法が統一されているのであります。
でありますから、これと同様に、Chrome OS上で動作するアプリもまた、操作方法が統一されることになるのであります。
もちろん、この統一された操作方法への賛否はありますけれども、これは例えば車の運転操作の仕方が世界で統一されていることと、ある意味同じで、これを利用するユーザーにとっても、開発者側にとっても、どちらにもメリットのあることとなるのであります。
ここで、思い出していただきたいのが、以下の年頭にあたってKAIがここに書きましたエントリーであります。
しかも、これはリアルだけではなく、ネットの世界でも同様なんであります。まさに、たった一つの「プロトコル」の存在であります。確かに、車の運転同様、人による違いはあるには、ある。それでもしかし、ツイッターにしろその他のSNSにしろ、みなさんはこれらを使いこなしているのであります。
この事実から言えることは、リアルにおけるたった一つとも言える「プロトコル」同様に、ネットにおいても、たった一つの「プロトコル」の存在であります。
もし、これを「理解」することができたとするならば、人間に替わる「オートパイロット」も夢ではなくなるのであります。
(オートパイロット・プロトコル)
これが持つ「意味」の重大さにつきましては、また稿をあらためましてご説明したいと思うのでありますが、私たちはこれによって、「アプリケーション価値」社会を生きるための「魔法の絨毯」を手に入れることになるのであります。
以下、次回と言うことで、本日はこれにてお仕舞い。 KAI
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