大人の国と子どもの国--思想家の器とは?

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思想家の器なるものがあるとすれば、その器の大きさとは、歴史認識をおいて他にないのであります。

この事例となる記事がいくつかありましたので、ご紹介するのであります。

まずは、おなじみのウチダ先生であります。

片山氏によれば、体罰による身体能力操作の悪習は日露戦争に淵源を持つ。「持たざる国」日本は火砲に乏しく、「大和魂」に駆動された歩兵の絶望的な突撃と悲劇的な損耗によって薄氷の勝利を収めた。このとき火力の不足は精神力を以て補いうるのだと軍人たちは信じ、その結果、大正末期から一般学校にも軍事教練が課された。以来「しごき」によって戦闘能力は短期間のうちに向上させられるという信憑は広く日本社会に根づいた。今日の学校体育やスポーツ界に蔓延する暴力はその伝統を受け継いでいると見る片山氏の指摘は正鵠を射ていると私は思う。
日露戦争より前、西南の役において、農民出身の鎮台兵を短期の訓練で前線に投じる「速成」プログラムの整備が陸軍の喫緊事であると説いたのは山縣有朋であった。「速成」が要請されるのはいつでも同じ理由からである。「ゆっくり育てている時間がない」というのだ。短期で精兵を仕上げるためには、青少年の心身の自然な成長を待つ暇がない。「負けてもいいのか」という血走った一言がすべてを合理化する。
私はひそかにこれを「待ったなし主義」と名づけている。近代日本の組織的愚行の多くは「待ったなし」という一語を以て合理的な反論を遮り、押しつぶし、断行されてきた。今もそれは変わらない。
私の紙面批評
ここで登場する片山氏とは、Wikipediaによれば片山杜秀氏、慶応の准教授とのことであります。

1904年に始まる日露戦争と、1925年から行われたといわれる軍事教練(学校教練(がっこうきょうれん)、Wikipedia)との間にいったいいかなる関係があるのか、その論証ぬきにして、これをそのままはいそうですかとは、受け入れるわけにはいかないのであります。

しかも、軍事教練で体罰が常態化していたかの「事実」も、それ以前には体罰なるものがなかったかの「事実」も、はたまた、近代日本の組織的愚行なるものの存在の「事実」と、これを「待ったなし」と断行されてきたとか言う「事実」、これらあるゆる「事実」なるものの、挙証根拠は、皆無としか言わざるを得ないのであります。

こんなデタラメきわまりない、この朝日新聞上の「紙面批評」なる記事をお読みになって、なるほどと膝をうたれた方は、一度病院へ行って頭の検査を受けることをお勧めするのであります。

それにしてもなぜ、片山氏にしろウチダ先生にしろ、こういったおかしな「歴史認識」となるのか。これが問題なんであります。

KAIはこういった問題のことごとくの答えは、「正統性」思想にあると考えているのでありますが、今回の問題に対してはより適切な言葉があるのであります。

それは、「歴史」と言う他人に対する「敬意」であります。

私たちの祖先の人たちと言う他人であり、今を生きる他人であり、この他人たちが英々と築いてきた歴史に対する、その「敬意」であります。これがお二方には、決定的に欠けていると、KAIは強く思うのであります。

では、「敬意」があるとは、どう言うことか。

これを象徴する事例を、つづいてご紹介するのであります。

「名誉大英帝国勲章」を受章することになったのは、三重県紀宝町の戸地功さん(66)です。
第2次世界大戦の末期、旧日本軍の捕虜となり、日本に移送された3万人以上の連合軍兵士のうち数百人のイギリス兵が、三重県の南部にあった鉱山に送られ、このうち16人の兵士は祖国に戻ることなく亡くなりました。
地元ではその後、この16人を追悼しようと墓地が造られ、戸地さんは20年近く、地元の人たちとともに追悼式典を続けてきました。
また、戸地さんは、元捕虜のイギリス人たちの訪問を受け入れたり、地元の子どもたちをイギリスに研修に連れて行ったりと、日本とイギリスの交流に取り組んできました。
勲章の授与式はことし夏に行われるということで、東京のイギリス大使館から知らせを受けた戸地さんは、NHKに対して、「突然のことで驚いています。長く墓を守ってきた人たちのおかげです。これからも平和を願って地道に活動していきたいです」と話していました。
元捕虜追悼の三重の男性に英から勲章
すなわち、「敬意」とは、戸地功さんの「長く墓を守ってきた人たちのおかげ」と言う言葉であり、英国エリザベス女王の与える「名誉大英帝国勲章」であります。

そして、こういった国家の「歴史」に対応できる国民を持つ国を、大人の国と言うのであります。

対する、子どもの国の事例であります。

 問題の仏像は長崎県指定の有形文化財で対馬市の観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」。韓国中部、瑞山にある浮石寺が、同像は14世紀に同寺で作られたと主張。長崎で盗まれた後韓国に密輸された像を発見、保管している韓国政府による移転禁止を求める仮処分申請を同地裁に行っていた。

 同地裁は、観音寺がこの像を正当に取得したことが訴訟で確定するまで、韓国政府は日本政府に引き渡してはならないと判断した。(共同)
盗難仏像、日本への返還差し止め 韓国裁判所

この対応が、自分たちの国家と言う存在を、自らの手で貶めることになることに、まったくもって気づかないのであります。

これが、冒頭のお二方と、同じであるとは、あえて言うまでもないのであります。 KAI