このところアプリケーション価値社会についてあらためて考えているのでありますが、これに呼応するかのように、このヒントとなる記事が次々と登場するのであります。
先月の発表会では5社が成果を披露。スマホがコンサートなどのチケット替わりとなるサービスを開発したLive Styles(東京都渋谷区)が最優秀賞に選ばれた。各チームのアプリは、KDDIのアプリサイト「auスマートパス」内で今月から順次ダウンロードできる。要するに、KDDIも、ドコモも、アップルやグーグルの後追いにしかすぎないビジネスモデル、まったくもってただこれしか見えていないのであります。KDDIに続き、NTTドコモも、同様のベンチャー支援制度を実施する。「イノベーションビレッジ」と名付けたこの計画は、さまざまなビジネスモデルや技術、アイデアを持つ企業や個人を支援。初回は3月11日まで参加を募る。選ばれれば200万円の助成金を受けオフィスも提供されるほか、ドコモなどから開発や経営に関する助言を受けられる。「スマホ向けサービスの充実を図る」(中山俊樹執行役員)のが狙い。約5カ月間の開発期間中に優秀なアプリやサービスを開発した企業には出資も視野に入れている。
KDDIやドコモがベンチャー囲い込みに力を入れるのは、スマホ事業の競争激化が背景にある。米アップルやグーグルにアプリなどのサービス提供で主導権を握られたままでは、通信会社は回線を提供するだけになる懸念がある。対抗するには、魅力的なコンテンツを提供することでスマホ加入者を囲い込むとともに、新たなサービスで収益基盤を拡大することが急務となっている。
(通信大手、ベンチャー支援強化 コンテンツ開拓「青田買い」 アップル、グーグルに対抗)
しかも、この対抗するためのビジネスモデルを、「魅力的なコンテンツ」を提供することであると、アプリも、サービスも、コンテンツとひとくくりにしてしまうとは、何をかいわんやであります。
アプリとコンテンツは、明らかに異なるものであるにもかかわらず、いったいなぜこうした混同がおこなわれるのか。
実は、その理由とは、そもそもにおいて、「コンテンツ」とはいったいなんのことであるのか、これがみなさん正しく理解されていないために、この「混同」が起きていると言えるのであります。
実際問題として、「コンテンツ」とは、次のように定義されているのであります。
1 内容物。中身。2 書籍の目次。3 インターネットやケーブルテレビなどの情報サービスにおいて、提供される文書・音声・映像・ゲームソフトなどの個々の情報のこと。デジタルコンテンツ。ここでもまた、ゲームソフトと言う「アプリ」を、音楽や映画などと一緒くたにすると言う、「混同」がおこなわれているのであります。
(コンテンツ【contents】)
この世間の「頑固」な思い込みを打ち破ることも、今回のレポートの目的ではありますが、この思い込みを打破した先にある暁にこそ、真の「イノベーション」が見えてくることをみなさんにお知らせするのも、もう一つのこのレポートの目的となるのであります。
そして、最初にまず結論を申しあげますならば、「コンテンツ」とは「体験」である、と言うことであります。
これをご説明するのであります。
例えば、「コンテンツ」の代表である、楽曲や映画であります。
これらは、いまやことごとくが、オフラインにしろ、オンラインにしろ、リアルタイムにしろ、デジタルで提供されているのでありますが、ただこれらが単に記憶媒体の中にあるだけでは、これは単なる「情報」のひとつにすぎないのであります。
これが、「視聴する」という「体験」をとおして初めて、この情報は「コンテンツ」となるのであります。
そして、ここで重要となるのが、この「体験」を実現しているのが、今回のもう一つの対象であります、「アプリ」なるものなんであります。
もちろん、アナログ時代のコンテンツである「レコード」や「フィルム」には、「アプリ」が介在することはなかったのでありますが、いまやデジタル全盛時代であります。
あらゆる「コンテンツ」には、それが明示的であるか否かにかかわらず、この「アプリ」が必ず介在している事実は、きわめて重要となるのであります。iPodしかり、iPhoneしかり、アンドロイド端末もすべてがすべてアプリがなければ、どれひとつとして再生できないのであります。
ここで、もう一つの重要な事実を、ご説明することにするのであります。
それは、例えばゲームソフトと言う「アプリ」から見た「コンテンツ」とは、これはいったいいかなるものであるのか、と言うことであります。
従来の「頑固」な見方からすれば、ゲームソフトそれ自体が「コンテンツ」とみなされていたのであります。
しかし、これははたしてそうでありましょうか。
例えば、これがインターネット上にある二人対戦ゲームではどうでありましょうか。
ここに、従来から言うところであります「コンテンツ」をみいだすことは、困難と言わざるを得ないのであります。
ところが、であります。
これを、さきほどの、「コンテンツ」とは「体験」である、と考えると、まったく別の風景が目の前に現れてくるのであります。
すなわち、ゲーム体験としての、「コンテンツ」の存在であります。
この考え方を拡張していくと、ゲームソフトと言う「アプリ」だけではなく、あらゆるジャンルにおよぶ「アプリ」には、この「体験」と言う「コンテンツ」が常に存在していることに、私たちは気づくことになるのであります。
これが、インターネット上で「サービス」を提供する「アプリ」においても、まったくもって同じとなると、かように申しあげることができるのであります。
さて、ここまでご説明すれば、なぜ「アプリ」と「コンテンツ」が混同されるのか、その仕組みがクリアになるのであります。
それは、「アプリ」と、真の意味の「コンテンツ」との間には、一体不可分の関係があるからでありますが、だからといって両者は決して「同じ」ではないのであります。
そして、この「混同」と言う間違った「理解」こそが、彼らの「イノベーション」の妨げになっていると、かようにKAIは考えているのであります。
どう言うことかと申しあげますと、彼らが言う「魅力的なコンテンツ」の提供の「次元」が低すぎるのであります。単なる、魅力的なゲームソフトやサービス、楽曲、映像の提供の場をつくろうよ、では「次元」が低いのであります。
そうではなく、「体験」としての「コンテンツ」を提供する場が、「イノベーション」を生むのであると、かように理解する必要があるのであります。
具体的には、「体験」を生み出す「アプリ」を支える「環境」の構築であります。この「環境」があれば、アプリ内課金も容易であり、しかも、手数料率はほんの2、3パーセントに徹底して抑えるのであります。もちろん料金回収は、自らの通信費と一緒にできる。
こんな「環境」であれば、「アプリ」開発者達が大挙して押しかけてくるのであります。
資本のある彼らが、なんでこんな簡単なことに手を出さないのか、KAIは不思議でしかたがないのであります。 KAI
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