北朝鮮の核実験およびミサイル発射と中国軍によるレーダー照射。これでようやく「気づき」を得たのが、米国オバマ政権であります。
北朝鮮に対して、その一つ前の「北風政策」であるテロ支援国家指定、この解除自体は、前政権であるブッシュ政権末期に行われたものではありますが、オバマ政権もずっとこの転じた「太陽政策」を引き継いできたのであります。
これがいかなる理由により執り行われてきたのかのご説明はのちほどにしまして、ようやくこれがきわめて大きなリスクを抱える政策であったことに気づいたと言うことであります。
もちろんこれは中国も含めたことではありますが、こういった国家は、こちらが圧力を弱めれば弱めるだけ、みずからの欲望圧力を際限なく膨張させていく、そういった性格を持つ民族なんであります。
これが、北朝鮮の核ミサイルによる米国本土攻撃がより現実に近づいたことで、一気にオバマ政権の「気づき」を生じせしめたと言うわけであります。
問題は、なぜこの北朝鮮に中国も加わるのか、であります。
それは、中国軍によるレーダー照射によって、偶発的戦闘状態となった場合、いままでの中国に対する「太陽政策」を一変させる必要が生じることに、オバマ政権ははたと「気づいた」のであります。
かように、「気づき」とは、たった一つのできごとを契機に、まるで巨大な蒸気機関車の動輪がまわり始めるかのごとく突如駆動し始めるものなのであります。
そもそもなぜこれまで米国は、この二つの国に対して「太陽政策」であったのか。
それは、このほうが「楽」であったからであります。「楽」であるとは、「お金」がかからないと言うことであります。
9.11以来の対テロ軍事作戦で費やした財政負担に悲鳴をあげだした結果であります。
米国、すべての国民が、この「ドグマ」に陥っていたのであります。
そうです、「ドグマ」であります。ことごとくが、前頭葉の支配する「観念」の世界であります。
これは、アベノミクスによる「気づき」も、まったくもって同じ構造だったのであります。
「理論」のための「理論」である「日銀理論」に支配されていた日本のデフレ社会。安倍発言と言う、たった一言で、日本国民は「気づき」を得たのであります。
このロジックを、「武術」の中にみいだしたのが、武術研究者、甲野善紀(こうのよしのり)氏であります。
甲野:「術」と呼べるほどの技は、単に数を繰り返せばできるようになる、というようなものではありません。「『術』と呼べるほどの領域まで達する技を目指そう」という願いを込めて、私は自分の取り組みを「武道」ではなく「武術」と呼んでいるのです。身体の「気づき」を積み重ねるしかないそして、そういう「術」と呼べるほどの技を行えるようになるには、結局、身体の「気づき」を積み重ねるしかないのです。気づきがなければ、質的転換などは起きません。ですから、脅かされて嫌々繰り返し稽古や練習の量を重ねたところで、何もいいことはないんです。
小田嶋:でも、よく「型が重要」と言いませんか。よけいなことを考えず、素振りを1000回もやれば、おのずとなにかが見えてくる、とか。
甲野:まあ、回数をやれば、そこそこの効果はあるでしょう。でも、それでは「術」には届かないということです。「術」と呼べるほどの技というのは、単なる反復練習の延長線には現れない、動きが質的に転換したものです。そういうものを身につけるためには、自発的な研究心が絶対に必要だということです。そして、本来の型はそういうものを会得するためにあるのですが、今ではまったく型の意味が失われてセレモニー化していますね。
私が武術を通して追求しているのは、「人間にとっての自然とは何か」であり、そのために「矛盾を矛盾のまま矛盾なく取り扱う」ということを把握したいと思っています。そうした事から導き出されることの一つとして、武術には「人間にとって切実な問題をもっとも端的に取り扱うもの」という面もあります。
小田嶋:切実な問題を端的に。
武術とは「人間にとっての切実な問題」を取り扱うもの
甲野:一対一で戦うという武術的状況が、さまざまな切実な問題を扱う能力を上げてゆくのです。ただ、人間にとって切実な問題というのは人それぞれですからね。例えば夏の終わりには女の子から失恋相談がよく舞い込んできたこともありました。まあ、たしかに彼女らにとって、これほど切実なものはなかったわけですから。
小田嶋:わはは(笑)。
甲野:イジメも体罰も、それぞれの人が抱える「切実な問題」なわけですが、それらの根本解決は、「人間にとって生きるとは何か」、また「人間にとって自然とは何か」という人間にとっての本質的問題と根本的に向き合うことが必要で、それを頭だけで考えるのではなく、体感を通して考えるために、「武術」は他に較べるものがないほど優れたものを内蔵していると、私は思います。
(「オリンピック選手に体罰」が行われる謎を解く、甲野善紀×小田嶋隆アウトサイダー対談)
それを頭だけで考えるのではなく、体感を通して考える
ここにこそ、真実の言葉があるのであります。
つづいては、音楽プロデューサーである四角大輔(よすみだいすけ)氏。
四角氏の説く「気づき」の方法とは、「一人」であります。四角:はい。大切なのは、「頭ではなく心」が反応する「やりたいこと、気になること」は、受け身ではなく自分から取りにいけ、ということ。そして、「あ、これは合わないな」と心が感じた瞬間、固執せずそれは躊躇(ちゅうちょ)なく捨てていい。「食べず嫌いはもったいない」と、「ためらわず捨てろ」は背反ではなくて、両立するんです。
(イノベーションを起こすには「孤独」が必須だ、「20代は捨て」と説く、四角大輔氏に聞く)四角:ここだけに集中投下しようと決めても、そのすぐ横に効果的そうな新規媒体が登場すると、多くの人は予算を分散させて両方に打ちたくなる。ここでも重要になってくるのは「足し算思考」ではなく「引き算思考」、つまり捨てる勇気を持つことです。
さっきの「一人の熱狂」に呼応するんですが、ヒットって必ず「誰か1人」から始まるんです。100万枚のヒットも最初に買った人が絶対にいる。1人目というのは絶対に存在するわけで。実際、僕が営業をやっていたときに、CDショップの現場バイヤーさんや、熱狂的なアルバイトの店員さんの手によってアーティストがブレークしたという瞬間を何度も見ているんですね。
--え?
四角:「1人」なんです、最初は本当に。例えば、ある店員さんはお店の片隅に小さなコーナーを作り、手作りチラシをこつこつと更新してくれて、毎日お客さんに声かけしてくれた。そのうち、その店だけで少しずつ売れ出す。実際に、僕が担当をしていたお店の方と一緒に仕掛けたアーティストがミリオンクラスにまでなったことがあるんですよ。
(同上)
孤独である自分「一人」であり、働きかける具体的「誰か一人」であります。
すなわち、「気づき」とは、これもまた「自分自身」の問題であり、自分事(じぶんごと)、当事者意識の問題に他ならないのであります。
そして、さらにはこれは、「予知能力」の中のほんの一つのチカラであるのでありますが、これについては、また次の機会ということにして、今回はこれにてお仕舞い。 KAI
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