神主大学院生のオーナーシップ

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このところ暴走老人の仲間入りしたウチダ先生も困ったもんでありますが、この曽野綾子の老害にも困ったもんであります。

ひねくれ者の曽野綾子氏。産経新聞に「人を変えられるという思い込み」と言う題でひねくれ文章を書いている。そして僕が入試中止という手法で人を変えようとしていることがバカなんだと。僕は入試中止で、生徒たちに考えてもらって学校再生を果たしてもらいたいと思っている。僕自身が変えるのではない
橋下徹 ?@t_ishin

この産経新聞の記事とは、以下のとおりであります。

 もちろん当事者から見れば、外部の人間にはわからない長い年月の間の事情もあるのだろうが、私が驚くのは、顧問といい市長といい、自分の影響で人を変えられるという信念に満ちていることだ。つまり言葉を換えていえば、愛情深いのである。
(産経新聞、透明な歳月の流れ、体罰と人間観、人は変えられるという思い込み、曽野綾子、2013/1/23、p.7)

おまけに、本日発売の週刊新潮の広告に、こんなことまで。

格差で日本を暗くした「竹中平蔵」どの面下げて復活か!入試中止!廃校?「橋下徹」大阪市長の頭のネジ

よくもまあ、ぬけぬけとこんな広告を出せるもんであります。

竹中平蔵や橋下徹を批判する方々とは、これが人類の種の生き残りをかけた戦争であることは、すでにご説明したとおりであります。

とは言え、この問題にはもうひとつの本質的問題があるのであります。

すなわちそれは、「正統性」問題であります。

わかりやすく申しあげますならば、それであなたは「人のために」何をなしうるのか。

曽野綾子にしろ、週刊新潮にしろ、人を批判することは何の遠慮もいらないしおおいにけっこうなことであります。しかし、いったいあなたたちは、批判することで、なにを「人のために」なしうるのか。

あなたたちに、決定的に欠けているのは、これであります。

これにたいして、この大学院生。まるで、人間の「レベル」が百万倍上であります。

 しかし私たちの国は、政治が朝廷のものから武家のものに移ったり、幕府が交代したり、政権の所在が変わっても、政治権力の源である権威を担う皇室が途切れたことは一度もない。神様と人間のあいだに血縁関係があり、日本人として生まれるだけで神の子孫とされる日本の神道的概念は他に類を見ない、とアメリカ人の教授は私に教えてくれた。

 古事記が日本人の性質を表すように、神話はその国の民族性を如実に表す。神話とはその土地に住む人びと、もしくは伝承する民族の、道徳的規範を映す「社会の鏡」だ。ただのおとぎ話ではなく、事実になぞらえてつくられた「真実」の物語である。自分のルーツが神話へつながるという発見は、私にとって青天の霹靂ともいえる大事件で、いままで見ていた景色がモノクロームのようであり、それが彩色豊かな景色へと変貌する感覚を味わった。

 景気回復の兆しもみえないなかで、私たちの世代も含めていまの日本人は自らのアイデンティティを見失っている。この国に足りないのは「神話」ではないか。私はそう直感した。しかし、現代日本人の神話への認知度は低い。ならばまず、自分が古事記に伝わる精神を正しく伝える側になる必要がある。そこで私は神主の資格を取得し、神社に助勤させていただくようになった。
なぜジャパン・エキスポで古事記なのか―吉木誉絵(慶應義塾大学大学院生、神主)

 神主の仕事は魅力的だったが、それだけではなかなか多くの人たちに神話の魅力を伝えきれない。自分が感じた驚きや発見を同世代に伝えるのは私の義務である。さらに月日が経つにつれ、そう考えるようになった。そのためには組織が必要だ。そこでイベント運営を得意とする大学生たちに声をかけ、古事記を広めるプロジェクト「KOJIKI 1300 Project」が発足した。
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彼女が、フランスでのジャパンエキスポで古事記をプレゼンテーションしてフランス人に紹介するまでの奮戦記であります。

いやはや、KAIは次世代の若者にこんな未来を託せるとは、夢にも思わなかったのであります。

日本と言う国の欠点とは、よく外交と言われるのであります。

まさに「他国のため」に何をなしうるのか、であります。

神主でもある彼女の行動が、フランスの人々の、日本人への理解をより深めることになるのであります。

実は、それだけではないのであります。

いま世界で起きている国家間の紛争の根本にあるのは、「宗教」であります。

「宗教」がその覇権を争うために、互いに人を殺しあうのであります。

すなわち、この「宗教」抜きにしては、国家と国家の間の問題は解決し得ないと言うことを、私たちは思い知る必要があるのであります。

もちろん、この「宗教」を前面に出して、国連で演説せよと申しあげているのではないのであります。

そうではなく、国家と国家の問題を解決するための絶対的価値観である、私たちがよってたつ国家の「正統性」とは、この「宗教」にしかないと、かように理解することであります。

もう少し分かりやすく申しあげますならば、平和主義だとかなんだとか空想の理想論を根拠に国連で唱えても、誰も世界中の人々は共感しないけれど、日本の「宗教」と言う価値観に基づく世界の平和への貢献には、まったくもって誰も文句はないのであります。

今回のこの大学院生の行動こそ、これに繋がるヒントを私たちに思い切り与えてくれている。

かように、KAIは考えているのであります。 KAI