コミットメント不全症候群−−反成長主義者と反格差社会主義者の場合

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コミットメント不全症候群について、前回次のような議論をしたのであります。

コミットメント不全症候群−−日銀と日本柔道に共通するものとは

この「コミットメント」とはいったいなんであるか、これをいまだもってまったく理解できないのが、日本の「自称」経済学者であります。「自称」を冠するのは、その主張を英語で世界のジャーナル市場に発表すればいいものを、ローカルな日本語で、しかも一般大衆にむけた「プロパガンダ」としてしか披露できない方々であるからであります。(日本語で書いたものをそのまま英語でジャーナルに投稿できますか?)

この典型の記事をご紹介するのであります。

量的緩和を行わざるを得ない状況とは、ゼロ金利状態ということである。金利は極限まで下がっている。

ゼロ金利のとき、銀行など金融機関、幅広く言えば投資家には手元の資金を活用するには、二つの選択肢がある。
(中略)
だから、量的緩和は、日本全体への景気には明らかにマイナスなのである。
量的緩和は景気を悪化させる

中身がないので(中略)させていただきましたが、もちろんこれは「皮肉」であります。

皮肉は、中国禅宗の達磨大師の「皮肉骨髄(ひにくこつずい)」が語源で、元仏語。
「皮肉骨髄」とは、「我が皮を得たり」「我が肉を得たり」「我が骨を得たり」「我が髄を得たり」と、大師が弟子たちの修行を評価した言葉である。
骨や髄は「要点」や「心の底」の喩えで「本質の理解」を意味し、皮や肉は表面にあることから「本質を理解していない」といった非難の言葉であった。
そこから、皮肉だけが批評の言葉として残り、欠点などを非難する意味で使われるようになった。
【皮肉の語源・由来】

もしこの程度の議論が成立するとするなら、まったく反対の立場の議論もそのまま成立すると、なぜお考えいただけないのでありましょうか。

そもそも、「景気」や「株価」が、「金融緩和」なる人為的「操作」による有意の「事象」とするならば、経済問題などと言うものは、とっくの昔から解決されていたのでありますが、現実はそうではない。

彼らが決定的に見落としているのが、「景気」や「株価」といったものが、「情報」の従属変数であるってことであります。すなわち経済変数なるものからは、明らかに「独立」しているのであります。

しかも、この「情報」とは、「未来」の情報であります。

すなわち、「量的緩和」といった実績としての統計データと言う「過去」情報に依存して、「景気」や「株価」が変動するなどと言うことはあり得ないと、ちょっと頭を働かせればこれは自明なことであるにもかかわらず、彼らは、まことにもって、かように「オツム」が弱いのであります。IQや東大がいかに「デタラメ」であるか、この一事が万事をもってしても明らかに証明されているのであります。

では、真実の「景気」および「株価」とは、何か。

これに決定的に影響を与えるのが、先述の「未来」の情報でありますが、もう少しわかりやすい言葉で申しあげますならば、「将来」どうなるかであります。ですから、上場企業であれば、例えばソフトバンクの孫社長が、ちかい「将来」こうすると、自らの「意志」を市場に発信することで(これをマーケットへの「メッセージ」と呼ぶのであります)、これに期待が集まれば「株価」が上がり、結果「景気」も上向くのであります。

ここで言うところの、孫正義の「意志」こそ、冒頭の問題の「コミットメント」なのであります。

すなわちつまり、「意志」=「コミットメント」=「メッセージ」と言うわけであります。

これを見事に証明する記事が、こちらであります。

小渕首相は視察先で野菜のかぶを両手に持って万歳し、「かぶ(株価)上がれ」とテレビカメラの前で演じて見せた事で知られる。総合経済対策などで財政出動を繰り返し、景気回復に重点を置いた。在任期間中の株価上昇率は26%に達し、辞任直前には一時、日経平均株価が2万円を回復した。逆に次の森喜朗首相時代は株価が大きく下落(-31%)。兜町などからブーイングを浴びたことも退陣の遠因になった。歴代首相は株価をかなり意識してきたのである。
内閣支持率急落の背景に野田首相の"鈍感力"あり。このまま日本経済の先行きに明るい兆しが見えなければ株価急落で命運尽きる?

 小渕、森以降の首相で在任中に株価が上がったのは小泉純一郎首相の11%と、安倍晋三首相の6%だけ。小泉氏は構造改革路線を取ったため、外国人投資家などの日本株買いを誘発し、株価は上昇した。安倍氏は今年9月に自民党総裁に再び就任して「日本経済再生本部」を立ち上げたが、経済関連の講演では必ずといって良いほど、首相在任中に株価が上昇したことを持ち出している。

 安倍氏は小泉氏の構造改革路線を引き継いだが、福田康夫首相(-26%)は小泉路線の修正に動いたと市場で見られたこともあり、株価は下落した。麻生太郎首相(-15%)はリーマン・ショックに直面、株価は下落した。

 民主党政権になってからは株価は低迷から脱することができなくなっている。鳩山首相(-7%)、菅首相(-6%)ともに在任中に株価は下落した。リーマン・ショックの震源地である米国のNYダウがすでにショック前の水準を回復している一方で、日本の日経平均株価はいまだにショック前の7割の水準だ。

 では、野田首相就任以降はどうか。就任時点で8,950円だった日経平均株価は就任直後に11月に8,135円まで売られたが、今年3月には1万円を超えた。もちろん、首相の経済政策だけで株価が決まるわけではないが、3党合意を取り付けて、予算を通過させた時期と付合する。ところが、その後、じわじわと下げ、ついに降り出しである8,900円にまで戻っている。
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小渕首相の「意志」があったからこその、「株価」は上昇したのであります。

今回の日銀の金融緩和もそうでありますが、一見物価上昇率1%と言いながらあくまでこれは「不断」の努力表明ではない。これは、「コミットメント」とははるか隔絶した、「一刻」であり「その場しのぎ」の意見表明にすぎなかったのであります。

さて、肝心の、反成長主義者と反格差社会主義者であります。

実は、ここにも「コミットメント」が深く関わっているのでありますが、これからこれをご説明するのであります。

まずは、この記事をお読みいただきたいのであります。

異常な日本を正当化する「反成長主義」
日本に妖怪が徘徊している。「反成長主義」という妖怪が。IMF・世銀総会はグローバルリセッションの危険、という問題提起をした。世界の困難は、供給力が増大した一方、深刻な需要不足に直面しているところにある。財政再建も重要だが各国は各々の国内需要の喚起を、と呼び掛けた。そうした中で、需要創造に後ろ向きの日本の姿が際立っている。その日本は世界で唯一デフレに陥り、経済成長のマヒ状態に陥り、世界最悪の株価が続いているが、その原因でもあり症状でもあるものが「反成長主義」という妖怪である。

図表1、2を参照されたい。リーマンショック以降対岸の火事であったはずの日本が、最も深刻な株価低迷を余儀なくされている。住宅バブルとも、ユーロ危機とも、銀行の不良債権と資本不足とも無縁であったはずの日本を異常株安に陥れたものこそ、「反成長主義」という妖怪である。リーマンショック後底値からの直近株価の回復度合いは、米国10割、ドイツ9割の上昇に対して、日本は1割と危機の震源地である米欧をはるかに上回る低迷ぶりである。

また、株式の益回りが社債利回りの8倍という異常なリスク回避を定着させ、金融市場を機能停止に追い込んだのも「反成長主義」という妖怪である。本レポートの末尾に示すように(図表4、5、6)、リスク選好指標である「株式益回り/社債利回り倍率」は1990年の日本のバブルピーク時0.25倍、1999年の米国ITバブルピーク時0.5倍に対して、現在の日本は8倍、米国は2倍、である。1930年代以降、米国でこの比率が最も高かったのは1949年の5倍であることを考えると、如何に今の日本が異常なリスク回避心理にとらわれているかがわかる。
間近に迫る政策転換 〜日本に定着した「反成長主義」の追放を〜

まったくもって、この武者陵司氏の言うとおりなんであります。

ウチダ先生やそのお友達をはじめとする方々は、人間の成長と老化とを日本社会に当てはめて、反成長社会をまずもって受け入れることが寛容であると説くのであります。

この「論」がいかに、時間軸上非論理的であるかは、例えば人間の誕生をいつにして、その成長がいつで、いま老年期にさしかかったとして、寿命はいつかを、そのまま日本の歴史上のできごとにあてはめてみるならば、まるで現在だけが拡大鏡で人生に対応するだけで、では日本社会の寿命はいつなのか、まったくもって説明になっていないことからも、明々白々に「史実」に反するのであります。

みなさまには、これがいかなることを意味しているか、よくお考えいただきたいのであります。

すなわち、この「反成長主義者」とは、一見「成長」しない社会を受け入れるがごとくに見えながら、実は「成長」しない社会へと自ら導く役割を果たす人々であったのであります。

つまり、「反成長」に「コミットメント」する方々であります。

これが、すなわち、上記引用のとおり、民主党歴代の3首相であったと、こうお考えいただければまことにすっきりご納得いただけるのではないかと、KAIは考えるのであります。

これは、「反格差社会主義者」についても、ぴったしかんかん、あてはまるのであります。

日本の格差はデフレが原因
成長を敵視・軽視し、デフレを容認する人々は、図表3に示される、日本だけに訪れた長期賃金下落は不可避であり受け入れるべきもの、と言うのだろうか。回避すべく努力する余地はないのだろうか。否、日本の格差は貧しきものの更なる賃金下落によってもたらされた。相対的に賃金水準が低い非製造業の賃金下落が大きいことからもそれは明瞭である。他方、米欧や中国、アジアでの格差は、豊かな者の更なる所得増によってもたらされた。欧米の格差拡大の原因が行き過ぎたレバレッジとバブル形成にあったという側面はあるだろう。しかし、所得格差の事情は日本では全く異なっているのである。日本の格差はデフレ、成長の停止によってもたらされたわけで、それを金融資本主義や、バブル、過度の成長等に帰するのは白を黒と言いつのるこじつけとしか言いようがない。デフレ脱却と成長力の回復こそが日本の格差を縮小する経路であろう。
間近に迫る政策転換 〜日本に定着した「反成長主義」の追放を〜

格差はあくまで、「結果」であります。

であるにもかかわらず、「反格差」と言う。この原因が、例えば「デフレ」であるとするならば、「反格差」のためには「デフレ」退治しかない。

ところがであります。にもかかわらず、「反成長」を唱えるのであります。

これは、「反格差」へと「コミットメント」していると言えるのであります。すなわち「社会主義」、「共産主義」をひたすら実現するための、「行動実体」として、彼らは「機能」しているのであります。

でも、他の誰も、こんなこと「望んではいない」んだよね。ひょっとして、自分たちにも「自覚」がないのかもしれない。

まことに、怖いお話であります、これは。

と言うことで、まとめであります。

まず、ポイントは、これ。

「意志」=「コミットメント」=「メッセージ」

この結果の、景気や株価に影響を与えるのは、金融緩和と言う「事実」ではなく、金融緩和への「コミットメント」である。

「成長」への「コミットメント」が、「成長」を導く。

「反格差」への「コミットメント」が、「デフレ」および「成長」しない社会の原因となっている。

「事実」と、これに相対する、「メッセージ」と言う未来への「情報」、この違いが扱えない経済学など、なんの役にもたたないことは、本年度のノーベル経済学賞の受賞理由を読めば歴然であります。

いま、世の中は、「コミットメント」する「リーダー」のみを、求めてやまないのであります。 KAI