情報戦とは−−孫子の兵法応用編・パート6

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さて、いよいよこの情報戦も佳境であります。

まずは、この「どしがたき自民党」であります。

■構造改革路線を支持する議員は少数派

 いまや自民党内で「小泉改革」という言葉はタブーだ。「構造改革路線」という言葉も「小泉改革」と同義語として捉えられており、自民党議員でこの言葉を使う人は少数派だ。「改革なくして成長なし」という人口に膾炙したキャッチフレーズも今はほぼ死後になった。郵政選挙後の自民党内のムードと今のムードはまったく違うのだ。

 それはもちろん民主党が小泉改革を意図的に否定し、格差拡大の元凶というレッテルを貼って政権交代を果たしたことが大きい。選挙で負けたキャッチフレーズなどおぞましいということだろう。

 それを典型的に示したのが、郵政改革に対する自民党の態度の変化だ。今年3月末に自民党は、国民新党や民主党が進めた「郵政民営化を見直す改正法案」を総務会で"全会一致"で了承した。郵政選挙で自民党を圧勝に導いた「郵政民営化」を自己否定してみせたわけだ。

 それに異を唱えたのは、小泉首相の政策を政務調査会長などとして支えた中川秀直・元幹事長らごく一部の議員だけだった(本欄関連記事参照)。つまり、現在の自民党内で、かつての安倍内閣の構造改革路線を支持する議員はおそらく、かなりの少数派と思われるのだ。
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前回自民党について、書いたとおりであります。

この竹中の存在を理由に維新に嫌悪をしめすやからが多いのでありますが、彼らこそこの「言葉の信頼性」に背を向け、「レトリック」と言う「バカの思考過程」に身を投じたかつての民主党投票者であり、彼らに乗じて格差を生んだとして小泉竹中改革を自らの手で潰した現在の自民党なのであります。
情報戦とは−−孫子の兵法応用編・パート5

こんな自民党を支持する方々が、またぞろ増えてきたことは、まことになげかわしい限りでありますが、ここは冷静に、これが何を意味しているのか、よく考える必要があるのであります。

細かい分析は省略させていただくとしまして、結論から申しあげますならば、これは「何も考えてない」人々の結果であります。なんども申しあげております「レトリック」でしかものごとを判断できない人々であります。

日本の有権者の大半が、「これ」でありますから、これは致し方ないといえば致し方ないのでありますが、橋下「革命政権」にとっては、これは「大吉」であります。

つまり、「革命」を成就するためには、議会の過半数を占拠する必要があるのであります。これがもし「イデオロギー」を異にする勢力と手を組むしか方法がないとしたら、これはたとえいったんは過半数を制したとしても、維持しつづけることは不可能であるからであります。

自民党と言う政党自体も、これを支持する方々も、結局のところは「何も考えてない」のであります。「革命政権」と手を組むことになんのためらいもないのであります。

でありますならば、廃止を唱える参議院においてでさえ、過半数を押さえることが可能になるのであります。

さて、ではこれからいかなる展開となるのか、であります。

これを占うのが、東京維新の「大日本帝国憲法復活」支持問題であります。

 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は12日、石原慎太郎東京都知事が同日の記者会見で「占領軍が作った憲法は廃棄したらいい」と述べたことについて、「憲法を勝手に破棄するのは権力者が絶対に踏み越えてはならない一線だ。国民としては怖いし、絶対に許されない」と批判。「この部分では石原知事と合わない」と断言した。

 石原氏が新党結成に意欲をみせる中、かねて良好な関係にある橋下氏との憲法をめぐる主張の違いが如実に表れた形。両氏は消費税増税や原発政策などをめぐっても見解の相違がある。

 ただ、橋下氏は「石原知事の政治家としてのキャリアや力は、日本にとって必要不可欠。しっかり話をさせていただきたい」とも述べ、石原氏側と維新との連携については「いろいろとお話をする中で…」と含みをもたせた。
橋下氏、憲法問題で石原都知事を批判 次期衆院選連携には含み

今後を左右するキーワードが、「大同小異」。

何が「大」で、何が「小」であるのか。これをみきわめさえすればよろしいのであります。

もちろん、こんなこと、石原も橋下も、百も承知であります。

つまり、「憲法」問題とは「小」であって、なんの問題もないのであります。

識者と言われる方々が、これを3年前の民主党と同じであると揶揄するのであります。

いわく、単に「反自民」の選挙互助政党が、てんこ盛りのマニフェストで国民を騙したと。

それで民主党に投票した人々は、マニフェスト詐欺の被害者だと。

何をかいわんや、であります。

KAIに言わせるならば、3年前の民主党投票者などと言うのは、マニフェスト詐欺の共犯者以外の何者でもないのであります。

それをいまさら、被害者面をするなどと言うのは、ちゃんちゃらおかしい。

それはなぜか、お答えするのであります。

「大同小異」の「大同」とは、「正統性」における「大同」であるからであります。

この観点に立って、いまあらためて3年前の民主党の「マニフェスト」をお読みいただきたいのであります。「縦価値」ではない「横価値」のオンパレードであります。

これに対する、維新八策。利益ではなく、公正であります。

3年前のマニフェスト詐欺の共犯者を支配していたのは、団塊に代表される利権集団の論理、そのものであります。

つまり、かっこよく言えば「反格差社会」の「論理」であります。

すなわち、議論より結論であり、議論を否定し、市場の否定なのであります。

これに対して、橋下「革命政権」の「論理」である、「公正社会」とは、議論を肯定し、市場を肯定することであります。最初から結論ありきの議論ではなく、議論の末に得た結論を「公是」とするのであります。「市場」もまた「正統性」として肯定する。

これこそが、「大同」であります。

これに直接的に「ロジック」で理解するものが「日本維新」を支持し、「レトリック」で理解するものが「自民」を支持することになる。今後の展開とは、つまりはこう言うことになっていくのであります。 KAI