「正統性」思想とは−−正義と正統性(番外編)

  • 投稿日:
  • by

山中伸弥京都大学教授の、2012年ノーベル医学生理学賞受賞は、まことに喜ばしいかぎりでありますが、今回のこの受賞はKAIの「正統性」思想にとってもきわめて重要な意味があるのであります。

それは、今回の受賞が、英ケンブリッジ大のジョン・ガードン博士(79)との同時受賞であったことに、おおいに関係しているのであります。

山中伸弥は、ガードンとのノーベル賞同時受賞に関して、「ガードン先生との同時受賞が、一番うれしいと言っても過言ではない。ガードン先生はカエルの研究で、大人の細胞が受精卵の状態に戻るということを核移植技術で証明した。まさに、私のしている研究を開拓してもらった。ガードン先生が実験したのは1962年。私はその年の9月に生まれた。同時に受賞できたのは、研究者の人生として大きい。ガードン先生もまだ現役で活躍している。iPS細胞が本当の意味で、医学、創薬の応用に実現できる日まで頑張っていきたい」と述べている。
ジョン・ガードン (生物学者)、Wikipedia

NHKクローズアップ現代に京都放送局からテレビ生出演して、「iPS細胞誕生から6年でのノーベル賞受賞は、異例のスピードと言われています」が、との国谷裕子の質問に対して、「6年ではなく50年です、決して早すぎるわけではありません」と答えていたのであります。

すなわち、ガードン先生とこの山中伸弥との間の半世紀と言う時間を隔たる繋がりこそ、「正統性」の確かなる「証明」となるのであります。

つまり、時間軸上の繋がりこそ、「正統性」の絶対的担保となると言うことであります。

この、時間軸上の繋がりのことを「縦価値」と呼ぶのであります。これに対する「横価値」が、前回の「正義」や、これに伴うかたちの「善悪」、「正邪」、そして「良非」といったものになるのであります。

ここで、ウチダ先生であります。

このウチダ先生、「教育」と言う「基本問題」においては、きわめて卓越した知見を披露できるのに、これが「政治」や「外交」と言った「応用問題」となると、まるで「へろへろ」になるのは、なぜなのか。実はこれこそ「頭」の大きさ問題に帰するのでありますが、本題から逸れますのでこれはまたいつか。
「正統性」思想とは−−正義と正統性

このウチダ先生の「へろへろ」問題とは、実はこの「縦価値」と「横価値」の混同に起因しているのであります。

前回引用した文章にもあるとおり、ウチダ先生は激しく「競争」なる概念を忌避されるのでありますが、これが「経済」や「市場」、あるいは「大学受験」といった分野に適用されることを「必要悪」と(KAIの推測ですが)お考えなのであります。

「必要悪」とは、「善悪」の「悪」であります。すなわち「横価値」であります。

武道では強弱勝敗巧拙を論じません。

こう書かれているのにもかかわらず、「市場」や現状の「教育現場」に「横価値」を適用する。

これが、間違いなのであります。

そうではなく、「市場」に代表される「経済」、「対米従属」の「外交」、「憲法」および「政治」といったことごとくの分野において、適用するべきは「横価値」ではなく「縦価値」、すなわち「正統性」であります。

例えば「市場」における「競争」も、一人一人の「正統性」を担保するための「修行」の場であると考えればよろしいのであります。「競争」とは、あくまで「手段」であります。

これを疑いもなく一心不乱に実践してきたのが、かの「ジョブズ」であります。

”私はこの時あらためて思った。大事なのは技術ではなく、それを使って何を生み出すことができるかだ。技術は短期間で廃れるが、生み出された物語は、何十年何百年と受け継がれていく。私がしたいのは性能の良いコンピューターを作ることではない。コンピューターを使って感動を巻き起こすことなのだ。”
世界は勝手に変わるのではない、誰かの手で変えているのだ。

「正統性」と「感動」は、同義の言葉であります。

「人生」においても、「仕事」においても、あるいは「教育」、「子育て」、すべてにおいて「感動」を生み出す以外にはない。これが「すべて」なのです。 KAI