お盆でガラガラの道を車で走りながら、思いついたタイトルが、これ。
いえね、中身はこれから考えることにして、まずはこのウチダ先生の文章をお読みいただきたいのであります。
なにかと言えば、「資本家」が悪い、「市場」が悪い、を繰り返すウチダくんには、いまだマルケイの亡霊を見せつけられるかのようで、なんだか目眩がしてくると思ったら、池尾和人先生も同じようなことを書いておられるのは、これは決して偶然の一致ではないのであります。わかるのは消費税がいずれ10%に上がるということだけである。
貧しい人ほど税負担が重くなるいわゆる「逆進性」についての制度的な手当ては具体的にならない。
その一方で、生き延びるためには「選択と集中」が不可避であると主張する経営者の方々は、こんな高コストでは国際競争に勝てないということで、法人税の引き下げ、人件費の引き下げ、電気料金を含む製造コストの引き下げを繰り返し要求している。
(中略)
自社の経営がうまくゆかない要因をもっぱら外部の無理解と非協力に求める経営者がわが国ではいつのまにかデフォルトになったようである。
そのデフォルトに基づいて、グローバル企業が国内にとどまってくださるように、法人税を下げ、賃金を下げ、公害規制を緩和し、原発を稼働させ、インフラを整備すべしというのが当今の「リアリスト」たちの言い分である。
(市場からの撤収)
ウチダ先生のように、めいっぱい「新興国から労働集約的な財」や「IT化」の恩恵を受けながら財をなした人間までもが、この本質的価値を貶めるような言論を繰り返されるのであります。しかし、ケインズのマシン(政策)よりもフィロソフィー(思考)を受け継ぐべきとして、現代日本の直面する問題に関して論じている部分は、「高橋さん、いつからそんなレトロなマル経のドグマに囚われちゃったの?」という感じで、全く賛同できない(第1章と第6章)。
雇用の2極化が進行しており、きわめて劣悪な雇用条件に置かれている層が増大しているというのは確かな話だが、その原因が「労働者を買い叩き、雇用者を搾り取ることで利潤を確保しようとする資本の論理」にあるというのは、議論としてあまりに「お手軽」にすぎませんか。高橋さんにとっては、グローバル化は口実だったり、タテマエに過ぎないようだけれども、身の回りにメイド・イン・チャイナや、メイド・イン・ベトナムあるいはカンボジアと記された消費財があふれているという現実はみなくていいのだろうか。
新興国から労働集約的な財を輸入することは、間接的に労働力を輸入しているに等しく、それらの国々との間で実質賃金の均等化(日本からみると引き下げ)の圧力が働くことになる。あるいは、情報技術革新の進展は、これまで中間層が従事していた事務処理的な仕事をどんどんと消滅させていっている。本書には「新興国との競合」、「IT化」といった表現は一度も登場しないけれども、そうしたことに全くふれずに現代の日本が直面する問題に処方箋が書けるとは、私には考えがたいことである。
(本当のケインズは、・・・)
「市場からの撤収」なるものも、わざわざいまこれを持ち出すまでもなく、大昔からずっと子育てに代表される、「市場」とは無縁の「相互扶助社会」なるものは、貨幣経済とともに立派に併存してきたのであります。
むしろこれに抗うように、団塊世代や日教組によって偏愛された「個人主義」と同義の戦後「民主主義」こそ、この「相互扶助社会」の価値を否定し破壊し続けてきた、張本人であると言うべきものであります。
いまさらこれを持ち出してきて、いいわけのように「資本」や「市場」を非難してみせても、なんの具体的問題解決にもならないことくらい、すこし頭を使えばわかろうと言うものでありますが、なぜかこの思考回路は働かない。
池尾和人先生の言うとおりであります。「現代の日本が直面する問題に処方箋が書ける」かどうかは、「間接的に労働力を輸入」していること、「IT化」が「事務処理的な仕事をどんどんと消滅させていっている」こと、と言う具体的社会的事実の認識なくして、これは不可能であり、端から議論を始めることすらできないのであります。
そこでであります。
この池尾和人先生ご指摘をヒントに、すこしこの問題について考察することにするのであります。
ここで重要なことは、「間接的な労働力の輸入」にしろ、「IT化による仕事の消滅」にしろ、共通するのは、「労働力」であります。
「労働力」とは、何か?
それは、簡単に申しあげますならば、人、であります。
これが、「輸入」されたり、あるいは、「消滅」していると言う、厳然たる事実が、いま私たちの前に、突きつけられているのであります。
実を言えば、この問題について、すでにここでちょうど2年前、レポートしていたのであります。
「人」の、「輸入」すなわち「生成」と、「消滅」を司っているのは、コンピュータのソフトウェア、すなわち、「アプリケーション」であります。いままでのような、駅の改札口の自動化やETC導入による人員削減とこれは訳が違う。
証券ディーラーと言えば、きわめて高度なスキルを要求される知的労働者。そんな彼らがいとも簡単にお払い箱になる。
いよいよ、時代が大きく変わる。つまりはそう言うことであります。
コンピュータは、その誕生以来わずかな期間に、人間の役割を根本的に変えてきた。それは、常に脳を含めたハードウェアとしての役割からよりソフトウェアとしての役割へのシフトであります。
しかしそのソフトウェアさえ、メタプログラミングによって置き換えられようとしている。これこそが、証券ディーラーの大量解雇なのであります。
つまりこれから起きることがなにか、もう少し分かりやすく言えば、世の中のありとあらゆる仕事がコンピュータを操作してできる時代になればなるほど、別に人間が操作しなくてもいいんじゃない、コンピュータにやらせればって時代になっていくってことであります。
だって、コンピュータをコンピュータが操作するほうが絶対に速いし正確なのは、最初から自明なこと。とうとう人間は、Webサービスによって、この魔宮の扉を開いてしまったのであります。
オンラインでの教育しかり、オンラインゲームを思い通り操作するアプリなんて、なんでもありの時代になっていくのであります。
こんな時代に生きる、人が果たすべき役割とは何か。これこそがきわめて重要なテーマとなっていくのであります。
(証券ディーラーの悲哀と悲鳴がこだまするのち週末テニス)
ユニクロしかり、ニトリしかり、大量に安価な「人」を「生成」できるのも、この「アプリケーション」あってのことなのであります。
そして、一方で、この「証券ディーラー」のような「人」を、大量に「消滅」させる。
すべてが「アプリケーション」のなせる業であった。
まさに、ここにこそ、「現代の日本が直面する問題の処方箋」にむけた、おおいなるヒントが隠されているのであります。
それは、好き嫌いは別にしても、すべての人々がこの「アプリケーション」に関わることを、強く時代が「要請」していると言う厳然たる「事実」であります。
と言うわけで、ここでやっと、冒頭のタイトル「サルでもできるITビジネス」に、お話が繋がるのであります。
と言っても、「人月」商売は、ITビジネスとはなんら無関係なビジネスであることは、一番最初にお断りしておくのであります。見積もりに、「人月」であるとか「人日」なる語句が一字でもあるご商売をなさっているかたは、これがITビジネスとは真逆のビジネスであることに、もういいかげんお気づきいただきたいのであります。
しかし、ここはなんで「サル」なのか。
これは、「IT」なんて言うと決まってお高い商売と思う「世間」に対する「ギャグ」であります。
もちろん「ギャグ」ではありますけれども、(おまけに思いつきだけどね)真面目に、この「中身」を、これから考えるとするのであります。
え?これでお仕舞い?
そ、思いつきだからね。(と言うことで、シリーズへと続く) KAI