結局、買って読むことはなかったのでありますが、この文言が気になるのであります。
この答えを考える前に、時あたかも「自殺対策白書」であります。著者は言う、「普通の人」が「自殺志願者」や「殺人者」にならない理由は一つしかない、それは…。読んでのお楽しみ。
(書評の神様−−文章の力とは?)
この若者が自殺を考える、その「理由」を説明するのが、流通科学大学学長石井淳蔵氏が書くこの記事であります。平成23年の自殺者は3万651人と、10年以来初めて3万1千人を下回ったが、一方で就職活動の失敗を苦に10〜20代の若者が自殺するケースが目立っていることが8日、政府が公表した24年版「自殺対策白書」で明らかになった。
白書によると、23年の大学生などの自殺は、前年比101人増の1029人で、調査を開始した昭和53年以来初めて千人を突破した。内閣府は「雇用情勢の悪化」を一因に挙げている。警察庁の統計では、「就職失敗」による10〜20代の自殺者数は平成19年の60人から23年は150人にまで増加している。
(昨年の学生・生徒自殺1000人突破 「就職失敗」理由急増)
この「年齢原理」とはいかなるものであるのか、詳細はこの記事をお読みいただくとして、石井氏の論理はこうであります。現代の若者は打たれ弱い。その理由はかつての日本にあった「共同体原理」の文化が崩れ、「年齢原理」の規範が社会を覆っている点にあると筆者は説く。
(自殺を考える若者が増加、何に悩んでいるか 現代の若者は、家族より友人が大切だと信じて疑わない)
<年齢原理> → <友人との付き合いが彼らの最高の規範になる> → <同一世代に閉じこもり、他の異質な世代の価値とは触れ合わないようになった世代> → <現代の若者は打たれ弱い> → <自殺を考える若者が増加>
いや、これは違うでしょう、と言わざるを得ないのであります。
この「論理」のうち、<年齢原理>から<現代の若者は打たれ弱い>までは、これが成り立つかどうかはKAIの関心の埒外であるからしておいておくのでありますが、<現代の若者は打たれ弱い>から<自殺を考える若者が増加>と言うのは、これはまったくお門違いも甚だしいと思うのであります。
石井氏は、恐らく、<現代の若者は打たれ弱い>から、この困難からの「逃避」しようとするのが、若者の「自殺」であると位置づけておられるのであります。
しかし、ことの「真実」は、まったく別のところにあると、KAIは考えるのであります。
これは、冒頭の、桂文珍の書評に対する答えともなるのでありますが、「自殺」や「殺人」には「理由」が不可欠なんであります。
人は、「理由」がなければ「自殺」したり、「人殺し」したりはしないのであります。
「動機なき殺人」なんて言われることがあるのでありますが、これは「動機」がないのではなく、単に「動機」が他人から「見えない」だけであるのであって、たとえ薬物や精神の異常による「殺人」であったとしても、本人にただこの「自覚」がないだけのことで、「理由」は常に「ある」のであります。
そして、この「理由」となるのが、いままでここで議論してきた「正統性」思想で言うところの、偽りの「正統性」なるものであるのでありますが、このお話はのちほど。
さて、お話は、ここから「人生」についてであります。
この「人生」とはなんぞや、これを理解することが、「自殺」や「殺人」の本質を理解することに、直接的につながっていくのであります。
その「人生」でありますが、実はみなさんがお考えになるほど難しくもなんともない、そういったものなんであります。
なぜなら、人は自分の生まれてくることを「選択」することはできない。ただこれを受け入れるしかない、ただ「与えられた」ものにすぎない、そう言うものなんであります。
これを、人は生きるのであります。人が生きることにおいて、その「理由」を考えることもなく、またその必要もない。でありますから、人はふつうになにも考えることなく、これを生きるのであります。
つまり、人が生きると言う「正統性」とは、人が生まれ出でたそのときから、その人なる存在に与えられた「天賦」そのものであります。
すなわち、この「理由」のないことこそが、人が生きると言うことの「正統性」の本質であるのであります。
ところがであります。
「うつ」なる病があるのであります。
この「うつ」は、「人生」にその生きる「理由」を求めてしまうのであります。
これが高じると、その「理由」を「原因」にして、自らの「人生」を断ち切ろうとする。
これを治癒する方法は、ただ一つ。あるがままの自分の「人生」を受け入れること。
そして、これは、若者の「自殺」についても同様であります。
若者が「自殺」するのは、決して「彼らの心が弱い」からでもなく、「逃避」でもなんでもないのであります。
それは、彼らが自分の「人生」に、その「理由」を求めすぎた結果として、自らの「人生」を断ち切ることにその「理由」を見出してしまったからであります。
しかし、これは、「自殺対策白書」が報告するところの「就職失敗」といった「理由」とは、本質的に異なるものであります。つまり、「人生」を終わらせることの「積極的」な「理由」となるものであり、「就職失敗」などといったことは単なる「口実」であります。
例えば、若者に限らず、「借金」を苦に「自殺」と言うものでも、「借金苦」なら誰もが「自殺」するかといえば、まったくもってそんなことはないのであります。「借金苦」のごくごくほんの一部の人たちが「自死」に至るのであり、ここにこそ自分の「人生」を断ち切ると言う、本質的「理由」が隠れているのであります。
またまた分かりにくいものいいですまない。
要するに、人が「人生」の「理由」を求めた結果として、その「理由」が得られない「人生」を終わりにすると言うことであります。
それは、「普通の人」には「理由」がないから。「普通の人」が「自殺志願者」や「殺人者」にならない理由は一つしかない
これが、KAIの答えであります。 KAI