もう30年も前のお話。銀座にある初めて入った、とあるバーのカウンター越しに、1枚の写真が飾ってあったのであります。それが小樽の運河であることは、一目見てわかった。
バーのママの出身地だとかだったと思うのでありますが、KAI自身にとっては、大学生のころ、札幌に住む友人に案内してもらって、一度きりしか行ったことのない土地の風景だったのであります。
それでも、写真を見た瞬間、それが小樽とわかるのは、なんとも不思議な体験であったのであります。
昨日、このデジャブのような体験が、ネットの写真を目撃して、あったのであります。
問題の写真とは、こちらであります。
毎週末、土日テニスの後、テニスコートから車で移動してスポーツクラブの駐車場に車を入れるのであります。なんとこの写真は、この駐車場すぐ近くにある家の、玄関前の写真であったのであります。
こちらは毎週末で、さきほどの小樽運河の時のように1回きりの体験の「風景」とは、明らかに違う。
しかしながらであります。毎週末のこととは言え、駐車場に入る直前に通り過ぎる、道路沿いのなんてことない普通の「風景」であります。スポーツクラブに通い続けて30年間、一度として意識して見たことのない、道路沿いの風景であったにもかかわらず、この風景を「無意識」の中で記憶していたと言うことなのか、件の写真を見た瞬間、ぴんとくるのであります。
もちろんこの文章冒頭に「瀬田アートトンネル」とあるから、これはまず間違いないのであります。
そして、引用した写真の記事の筆者、三谷宏治氏が書くのが、これまたシンクロニシティ、「無意識」がテーマであります。
この「無意識」については、ここでKAIが何度も取り上げてきた、もっとも重要なテーマの一つであります。さらには1980年代にベンジャミン・リベット博士らが行った一連の実験(*1)は、判断タイミングにおいて「無意識」→「意識」だということを示しました。
被験者に「いつでもいいから指を曲げて」と頼みます。被験者は、「今だ!」と思った(意識した)ときに、指を曲げます。意識してから指を動かすまで0.2秒。でもその0.35秒も前に、脳の無意識領域は必ず活動を始めていました。
(〜「超」日常からの発想、無意識が意識を支配する!? 最良の発想・判断への禅、逆ブレインストーミングと山手線)
今回は、いい機会であります。このKAIの考える「無意識」の世界について、あらためてここに引用してご説明させていただくのであります。
まずは最初の「引用」であります。
アプリケーションを設計するときだけではありません。すべての「問題解決」の方法に、この「立体ジグソーパズル」と言う「無意識」を利用することができるのであります。普段、私はB4サイズの原稿を収納できる書類ケースを毎日持ち歩いていますが、その中には、10種類以上の設計中のアプリケーションの仕様書が入っています。
一つ一つが未完了で、途中までしか記述されていません。
これを行く先々で開くのかと言えばそうではなく、ある日、突然、解決方法が見つかることがあって、それは自宅の場合もあるし、バーのカウンターの夢の中であったりするのですが、その時に必要になるからです。
一つのアプリケーション(の一部の機能)を設計する作業は、私の場合、すべて頭の中で行います。
この作業を人に説明するときによく使うのが、無重力空間に立体ジグソーパズルのピースが浮いていて、ある時突然全てがうまく組み合わさって、パズルが完成する、そう言った感覚です。
ですので、一度に、何種類ものパズルを頭の中に浮かべておくのは大変で、実際には、今は一つしか浮かべていません。作業を行うときに集中して思い浮かべるのですが、ピースの数が多いパズルほど、頭の中で展開するまで時間がかかります。ですからこういった連休中が、一番考え事をするのには最適なのです。
ところが、そうはうまく行かないのです。
全てがうまく組み合わさるという感覚がないと、全く一歩も前に進みません。
仕方がないのでこうやってBlogを書いているという、言い訳ですが(笑)。
ジグソーパズルが組み合わさるという感覚も、単に空間的に、と言うよりは、時空間上で、それぞれが繋がって、データや論理という水の流れが全てうまく流れていくと言った方がより適切です。
私は常々、ソフトウェアの世界は職人の世界ではなく工学(エンジニアリング)の世界だ、と言ってきましたが、果たして、今私のやっている作業を若い技術者に伝える方法があるのか、はなはだ疑問に思います。が、いつかはそれをやれるようにしたいという夢は捨てていません。
(アプリケーションを設計すると言うこと)
そして、この「問題解決」にとって重要なポイントは、当の「問題」を「自分自身」の問題とすることができるかどうかであります。
こちらは、取り上げる「問題」が、最初から「自分自身」の中に「内在」するものの場合であります。「他人」ではなく「自分」。「社会的問題」ではなく「個人的問題」。
一見、ビジネスモデルなんて言うと、社会的な問題をテーマにするかのような勘違いをしてしまいがちですが、まったく逆の思いっ切り個人が抱えている問題こそ、最良のテーマなんであります。
その理由は、簡単。
それは、自分が一番「知っている」からであります。
その問題の解決方法を今は知らなくても、いったいその問題がなんであるか、自分が一番よく知っている。ビジネスモデル構築において、これがきわめて重要なんであります。
起業において一番の問題は何か。いざ事業を始めて、一番の問題とは、「思ったとおりにならない」と言うことであります。
この時点で重要となるヒントが、実は自分自身無意識の中では、その問題の解決方法を「知っている」と言うこと。これを意識に顕在化させ、言葉にできるかどうかが、起業成功の成否を握っているんであります。
(オッカムの剃刀をビジネスモデルに適用する週末テニス)
そうではなく、あたかも「修行」のようなものでもって「問題」を「内在化」させる方法を身につけるのが、こちらのお話であります。
三谷宏治氏も、先ほどの記事の後半に「禅」をとりあげ、同様なことを書いておられるのであります。(同上)不動明王、すなわち、地球と言うわけであります。
前回までの言葉で言えば、「自分自身」がすなわち「地球」となるのであります。これは絶対に頭では理解できない世界であります。車や飛行機、あるいは客船で世界一周しても決して到達することのできない世界。
それは、例えば実際に月旅行で月の上に立ったことがある人間と、それをカメラでしか見たことのない人間の違いを考えれば、簡単にわかることであります。
自分自身が地球と一体になると、なにか超能力のようなものを得ることができるのかと言えば、そんなことは微塵もないのであります。
ただあるのは、地球と一体化したと言う事実のみ。
しかし、これがあらゆる問題となる局面において効いてくる。
すでに何度も書いているように、人が当事者と言う自分自身の問題の中に身体を置くことができれば、その問題に対する答えを自ずから知っていると言う真実であります。
地球と一体化するとは、人類の依って立つ地球と言う存在そのものが持つ問題に対する答えを知っていると言うことであります。
とは言え、だからと言って、この無意識の世界を意識下に顕在化させることが簡単にできるかと言えば、そうではない。
これを引き出す方法は、一つしかない。
「忍耐であり、寛容であり、慈愛」であります。
いみじくも、アースマラソン完走直後、インタビュアのもう一度挑戦するかとの質問に、「地球に失礼」と答えた寛平。この「敬虔」こそ、4万キロを完走したことの確かなる証明なんであります。
それでは、私たち「普通」の人間にとってこれは別世界かと言えば、そうではないのであります。
KAIにとって温泉で座禅を組む、砧公園の古木の中を走る、毎早朝の散歩道、すべての「地」と一体化することで、地球レベルではないけれど、その問題の答えを知ることができるのであります。
あとは、ひたすら「忍耐であり、寛容であり、慈愛」の中に、意識の中にこれを顕在化することができる。
(アースマラソンが教えてくれることのち週末テニス)
さて、この「無意識」の「ゲーム」における実践的応用編が、こちらであります。
時あたかも、全仏オープンが開幕。期待の錦織くん、左わき腹の肉離れで残念ながら欠場であります。錦織が、準々決勝でマーレーに敗退した理由を「体力」と言い訳した瞬間、錦織のランクトップテン入りも夢のまた夢と化したのであります。
ツォンガに、錦織が勝てた理由は、単にツォンガのミスが多すぎただけであります。別に錦織のレベルが上回ったわけでもなんでもないのであります。
あれだけツォンガがミスしても、フルセットでしか勝てなかったのは、いったいぜんたいなぜなのか?
錦織は、こう自分に問いかける必要があるのであります。こう問うことが、マーレー攻略に繋がる。しかし、これができなかった。この結果の、準々決勝敗退であったのであります。
ゲームに勝つための、絶対的な「直接的」方法などと言うものは、ない。ないけれども、絶対的「間接的」方法は存在するのであります。それが、「内省」と言うものなんであります。
しかも、この「内省」はただの内省ではないのであります。それは「連続的内省」であります。「不断」の内省なんであります。
(アプリケーション価値の時代を生きる)
錦織くんには、ぜひともこの、つい先日も取り上げた「内省」を習得して、ランクトップテン入りを目指していただきたいのであります。
この「内省」を、テニスと言う「ゲーム」に具体的にどう応用すればいいのか、これについてはぜひともこちらをお読みいただきたいのであります。
なんだか長い引用になってしまいましたが、簡単に整理すると、こう言うことであります。そのポイントは、二つ。
■ミスショットがきわめて少なくなるからエースでしか決まらない。
■エースを取るにはアンティシペーション外ししかない。
一番目は、トップレベルの選手同士の戦いですから、つまんないミスがきわめて少なくなるのは当然と言えば当然ではありますが、こうなってくるとポイントを得る方法はエースしかないのであります。
しかし、このエースも簡単には決まらない。
たとえばサービスエース。レシーバーを外に大きく追い出すサービスも、レシーバーがここに来ると予測していれば、逆にストレートのリターンエースで逆襲されてしまうのであります。
つまり、相手の予測(アンティシペーション)の裏の裏をかくショットの繰り返しでしかエースを取ることができないのであります。
(中略)
それにしてもこの「相性」、なぜ「三竦み」なのか。
それを説明するのが、勝負における「相性」とは「アンティシペーション」のことであると言う真実なんであります。
両方から見て「相性」がいいなどと言う相手は、いない。必ず「相性」が良い相手は、相手から見て「相性」が悪い相手となるのであります。
なぜか。
これを「アンティシペーション」すなわち「予測」で考えると、容易に理解ができるのであります。つまり、「相性」の良い相手は「予測」しやすい相手であり、「相性」の悪い相手は「予測」しにくい相手であると言うことなんであります。
更にもっと言えば、「相性」の良い相手には、相手の「予測」を外しやすいし、相手の「予測」を外すこと、すなわち「裏をかく」ことの難しい相手が「相性」が悪いとなるのであります。この「裏をかく」ことの難しい相手から見れば、相手が「裏をかく」ことを「予測」できると言うことでもあります。
これらのことを整理すると、この「予測」や「アンティシペーション」の意味が、「相手の気持ちがわかる」かどうかと強く関係していることに気付くのであります。
それも、頭で考えて「相手の気持ちがわかる」のではなく、無意識レベルで「相手の気持ちがわかる」かどうかがきわめて重要なんであります。
(全仏に学ぶ勝負の勝ち方あるいは「相性」の本質とは)
- 「ゲーム」を戦うと言うことは、自分自身の「無意識」の世界の中に、ゲームを戦う「自分」と「相手」が存在して、この「無意識」の世界の中で、「自分」と「相手」が戦うと言うこと。
- これがあらゆる「ゲーム」において「不断」にできるようになると、「相手」が「予測」する中身(「気持ち」)が手に取るように見えて、「ゲーム」は勝つことができる。
これは、勝ったと思った瞬間、「無意識」世界から「相手」の姿が消え失せたからであります。
最後の最後まで、「無意識」世界で戦い抜くこと。これが「勝利」の鉄則であります。 KAI