フェイスブックが上場(して失敗)すると、日本の若者が「起業家精神」を取り戻して日本は再び元気になる

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本日のテーマは、フェイスブックの上場と、その影響。

それが、このフェイスブック上場が、わが日本の若者の「起業家精神」復活の決定的契機となるのでありますが、この一見まるで無関係と思しき二つの事象のあいだに、なぜ荒唐無稽とも思われる関係がなりたつのか、これからこれをご説明させていただくのであります。

まずは、フェイスブック上場2日目にして、いきなりの株価下落であります。

[ニューヨーク 21日 ロイター] 21日の米国株式市場は急反発。S&P総合500種は7営業日ぶりに上昇した。ただ、前週末に上場したソーシャルネットワーキングサービス(SNS)大手のフェイスブックは急落し、公開価格を大幅に割り込んで取引を終えた。
米株急反発、フェイスブックは公開価格を大幅に割り込む、2012年5月22日 7:20

この大幅な株価下落こそ、フェイスブックの未来を象徴する「シグナル」となるのであります。

結論を申しあげますならば、フェイスブックは、この時価総額に見合う売上・利益を達成することのないまま、この株価低迷が常態化するのであります。

なぜそうなってしまうのかを説明するのが、こちらの記事であります。

しかしながら、Googleのミッションである「世界中の情報を整理する」という名のもとに生み出された AdWords/AdSenseが目指した広告の世界は、「適切なタイミングとユーザーの興味に応じた広告を出す」ことによって「広告」を「情報として有益なもの」にすることになったわけです。

つまり、「広告」そのもののが「悪」なのではない。

それぞれの人にとって、適切なタイミングで興味にあった「広告」を「出せないこと」が良くない、ということです。

ここ、本当に本質的な部分だと思います。

言い換えれば、誰かにとって良くない「広告」が、誰かにとって役に立つ「広告」だったりするってことですよ。

なので、現在のFbの広告について言えば、ソーシャルグラフがあるにもかかわらず、それらは「拡散」のためにしか使われないのであり、ターゲティングはデモグラフィックなことくらいしかできないわけで、それは結局のところ、レガシーな「メール広告」、オプトインメールやターゲティングメールと呼ばれるものを全然超えていないわけです。

なので、再びですが「コミュニケーションの場だから広告がスルーされる」なんて考え方は全然本質的ではありません。

そうではなく、Fb広告は、その広告の仕組みそのものが今のネット広告の潮流からすると非常に時代遅れで、ユーザーの興味関心とタイミングにマッチしてないからスルーされる、わけですよ。ここ非常に重要です。
44%のフェイスブックユーザーは広告をクリック”したことが”ない、らしい??そしてGoogleの広告考を含めた考察。

すなわち、「今のネット広告の潮流からすると非常に時代遅れ」の広告システムにあるわけであります。

もちろんこれが、これだけの資金を得たわけでありますから、突然エクセレントな広告システムに生まれ変わる可能性はまだまだ十分に残されてはいるのでありますが、Googleの上場の時と違って、いわば片肺のまま飛び立った飛行機のようなものであります。

ジェットエンジンの推進力があがらなければ、やがて売上も会員数も下降線をたどることになるのは目に見えているのであります。

さて、今回のテーマのお話であります。

このフェイスブックの上場後の不振が、いかなる日本の「起業家精神」と繋がるのかであります。

と、その前にであります。

なんで、いま、日本の若者の「起業家精神」であるのか。このお話のきっかけとなる記事がこちらであります。

■ 人的資産以外の資産がない国として、どう生きるか?
 巨額の国家債務の重みに耐えられない日本。人口が減少し、明らかに「ゼロ成長社会」に入った日本。技術革新が途絶え、大赤字を出し、絶滅に瀕しているエレクトロニクス産業。旧態依然とした寡占体制が担っている電力。政治を忘れ、政局が仕事と思っている政治家たち。これでは国がつぶれない方がおかしい。それでも「今日が回っているので、明日もきっと回るだろう」と大多数の日本国民は思っているのだろう。

 アメリカに生きていて、アメリカの中でも廃墟になった街の数々を目にする私が、故国の人に言えるのは、「そんなことはないですよ。デトロイトに行ってごらんなさい」ということだ。今の日本の状況は、破綻に瀕している欧州の国と比べても、決して良いとは言えないのである。今生まれ変わろうとしないなら、廃墟となったデトロイトのようになって行くことだろう。

 戦後の日本は起業家に溢れていた。何もかも失った戦後の焼け野原から、幾つもの新企業、産業が生まれた。商人は日本製品を世界中で売った。一人でも多くの顧客を得ようと必死だった。日本人よ、もう一度その起業家精神を取り戻して欲しい。そのためにはイスラエルの人々と一緒に働いてみることは、大いに役立つであろう。本書を読み、「人的資産以外の資産が無い『もう一つの国』」の生き方を学び、今自分たちが何をすることが大切なのかを、是非考えていただきたいと望むものである。
今、生まれ変わろうとしないなら、日本は廃墟となったデトロイトのようになっていく。 『アップル、グーグル、マイクロソフトはなぜ、イスラエル企業を欲しがるのか?』書評

戦後日本に溢れていたのは、なにも起業家だけではなかった。役人から会社員、頭を遮っていた年寄りがみないなくなって、若者たちが主役となって自由にやりたいようにやれる時代が来たからであります。

これがいけいけどんどんの時代を経て、みな年寄りになってしまった。

ふたたび若者の頭を、この年寄り連中が遮っているのであります。

ですから、ソフトバンクのように、年寄りの代表NTTの陰湿な妨害に打ち勝って初めて、ベンチャーは大きくなることができるのであります。

そして、この「年寄り」と同じ存在となったのが、IBM、マイクロソフト、グーグルと、今回のフェイスブックなどといった米国企業の存在であったのであります。

YAHOO!ジャパンもそうでありますが、日本の企業は、常に彼らと直接的に戦う道ではなく、彼らの「ルール」を受け入れ、ずっとこの中で共存する道を選んできたのであります。

みなさんには、こういった「環境」において「起業家精神」なるものが、いかなるものになるのか。ぜひとも、これをお考えいただきたいのであります。つまり、戦う前から、その「気力」が失せるのであります。

これが理由かどうかはしらないのでありますが、世界で戦うその前からして、田中社長も、笠原社長も、自己保身に走るわけであります。

端から戦う前から、負けているのであります。

この状況に、「コペルニクス」的転換の契機となるのが、「フェイスブックの失敗」であります。

日本のエレクトロニクス産業同様、日本の技術力には、なんら見劣りするものはないのであります。ただ、少し、ほんの少しだけ足りないのが、この「壁」すなわち「システム」と戦う、そう言う「意志」だけだったのであります。

「エクセレントな広告システム」さえあれば、いつでもフェイスブックを打ち負かして勝てるのであります。

楽天の「意志」に同意できないKAIにとっては、あまりうれしい話ではないのでありますけれども、日本の起業家精神を鼓舞するのが、こちらのお話であります。

以前、僕はFacebook上でだが、

Pinterestはユーザーがつくるショウウィンドウになってくるのではないか?


と書き込んだことがあるのだけれど、楽天の狙いはそこにあるのかも。

以下に紹介する、Fancyを見てもらえばわかりやすいのだが、店舗や制作者が自分たちで作った商品を、それこそ自分たちが思うような魅力的な写真をアップし、その写真から購入までつなげてしまうプラットフォーム(=つまり無店舗!ここは楽天にとって最大の思考チェンジ)が生まれてきているのであり、かつ、ユーザーたちはその写真をPinterest上のBoardにPin Upしていく(=ウィッシュリスト化)だけでなく、それらをつながっている人々にシェアしていくという、オーガニックな商品販促プラットフォームともなってきている。だから、ユーザーが作る”ソーシャルショウウィンドウ”というものになっていくだろう。
楽天 + Pinterest = Social Show Window 化とコマースの新しいカタチ。Rakuten+Pinterest: New style of online commerce is a “Social Show Window”
Amazonのようなアフィリエイトバッチを貼り付ける仕掛けではない、もっともっとスマートで「エクセレントな広告システム」を考え出すことができたとしたなら、楽天は、21世紀のネット世界の「HONDA」となることができるのであります。

あるいはまた、こちらもおおいなるヒントになるのであります。

■主流となるインタレストグラフ?

こういう状況から一つ結論を導くとすれが、当面日本で一番繁盛するであろうSNSは、インタレストグラフ、すなわち、何らかのものやサービス/活動等に対する好き嫌いや関係をベースに人を繋げるタイプものになると考えられることだ。裸の自我が揉み合ったりするようなタイプ、リアルの人間関係を持ち込むタイプ等は、何らかの役割を持って機能することはあっても、メンバーの人間関係維持が難しくて長続きしない可能性が高い。むしろ、ものやサービス、場合によっては何らの消費活動等をベースに、個々のインタレストを繋がりのきっかけとし、自我の衝突や人間関係の門をくぐらずに、『インタレスト』の原泉が持つ奥深い価値を共有できるように設計されたSNSがあれば、それが一番『持続可能なSNS』になっていくだろう。そのように考えれば、エイベック研究所の代表取締役である、武田隆氏が、評判になっている自著*4等で説く、『企業サイトによる、その企業の提供する価値に共感するユーザーとの交流』が成功するケースが出て来ているという指摘も理解しやすいのではないか。日本ではまさにこれからSNSの次のステージが開幕するように思えてならない。
先行指標としてのFacebookに見る日本のSNSの第二幕

こういった記事に「啓発」される若き「起業家」が、今回のフェイスブック上場を契機として、この日本に雨後のタケノコのごとく現れるのであります。

そして、フェイスブックで日本はお仕舞いと、したり顔で言う「年寄り」たちを、彼らが一掃してくれるのであります。

そうです、いま、「ゲーム」は始まったばかりであります。 KAI