今回は、日銀総裁といえども、所詮「サラリーマン」なんだなと、そう言うお話であります。
バレンタイン緩和以降の腰砕けの日銀金融緩和策に、きつーい一発となるレポートが出たのであります。
白川総裁は、この4月18日のニューヨークのあと、21日にワシントンDCでも講演を行い、同様の自己弁護を繰り返すのであります。明白になった論理上の分水嶺
市場は論理で動く。「より整合的論理だけが、投資の成功をもたらす」は武者リサーチが墨守する信念であるが、それが今ほど当てはまる時はめったにない。今論理に基づいて、株高・円安の長期トレンドへの転換点である、と主張したい
論理は単純明快である。米国経済のデフレ回避が成功したことにより、以下の連鎖が作動する。
? 米国経済は日本が陥ったデフレを回避し、成長軌道に入った。
? 米国の経済回復、デフレ回避を決定づけたのはFRBの創造的金融政策(QE)である。
? それは日銀の「デフレは日銀のせいではない、日銀はあらゆる手を尽くしている」という主張の誤りを白日にさらした。
? 日銀は自発的にせよ、受動的にせよ、従来の理論と政策を大転換せざるを得ない。
? 日銀が「対デフレ=対円高=対株安」の戦いの先頭に立つことが確実になった以上、「日本の円高・デフレ・株安」は終わる。(中略)
日銀思想の敗北は決定的、政策転換の軌道は敷かれている
米国経済が復活したとすると、次の焦点は日銀が変わるかどうかだが、未だ否定的論者が多い。それら否定的論者は、「デフレは日銀のせいではない、日銀はあらゆる手を尽くしている」という日銀思想の信奉者である。彼らは事実に対して謙虚であるべきである。
(中略)
不誠実な白川氏、自己弁護は許容されない
白川日銀総裁の4月18日のニューヨークでのスピーチで「金融環境は日本は先進国で最も緩和的にもかかわらず、デフレから脱却しない最大の理由は成長率が徐々に低下していることだ、中央銀行らは出来ない課題も明確に認識する必要がある。遂行できない政策は構造政策だ」と述べたと伝えられる(4月20日読売新聞)。言葉は悪いがまるで負け犬の遠吠えのような主張であり、多くの批判の下でその姿勢を貫くことは不可能であろう。米国の金融政策成功に対する真摯な認識、日本の現状に対する責任感が欠如している、と言わざるを得ない。
(日銀思想の敗北は鮮明、脱デフレ・円安・株高が見えている)
要するに、ニワトリが先かタマゴが先か、この論理に終始一貫しているのでありますが、武者リサーチの言うとおり米国のデフレ陥没回避、成長軌道へ突入がいよいよ確実となれば、いかなる理屈をこねまわしてみたところで、根本的なところにおいての日銀の、これまでの「デフレ容認」姿勢そのものが、「デフレ」の「真因」であったことが白日の下にさらされることになるのであります。「経済・財政の構造改革が進み財政の健全性は回復されるはずだ、と人々が予想しているからこそ、国債金利が安定していると考えるべきでしょう。ただ、現在のところ、そうした人々の予想は、十分に具体的な改革のプランによって裏打ちされているわけではないために、人々は将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっていると考えられます。」
なかなか痛烈な政治への不満と受け取れるコメントである。デフレは消極的な日銀の金融政策に起因することで、日銀法改正論議なども政治家の間で盛んであるが、デフレはむしろ財政再建を怠っていた政治家が原因のひとつであると批判しているようにみえる。
「巨額の政府債務が、もともとの成長期待の弱さともあいまってデフレ的に作用しうる」との白川総裁の見方も、日本独自のデフレ構造を説明するものではなかろうか。そして、総裁は結論として以下のような指摘をしている。
「生産性の引き上げを通して潜在成長率を強化することと、高齢化のもとでも持続可能な財政構造の確立が、中長期的なマクロ経済を安定化させるための最重要課題だと考えています。」
結論というか対策としてはある意味理想的な手段ではあるものの、具体策が述べられているわけでもなく、中長期的なとの表現から見て、かなりの期間を有する手段であり、これが抜本的な解決策になるのであろうか。今後、国債金利において、財政悪化に起因するプレミアムを発生させるリスク、つまり長期金利における財政プレミアムの発生をどのように抑えるのか。財政の持続可能性が日銀の使命達成のために必要である以上、日銀総裁も積極的に政府に対して国債の信認維持の必要性と、そのために政府が何をすべきかを説くことも重要であろう。
(財政の持続可能性の重要性(白川日銀総裁の講演より))
つまり、米国FRBの「創造的金融政策」の成功によって、白川総裁の言うところの「金融環境は日本は先進国で最も緩和的」との根拠がもろくも崩れ去ったのであります。
ん?
そうです、この論理構造がいまひとつよく見えないと言う方々のために、ご説明するのであります。
パラメタは三つあるのであります。<成長>と<国債>と<デフレ>であります。このうち<成長>と<デフレ>の関係が、日銀とFRBとでは、真逆にあるのであります。
■日銀 <成長> → <国債> → <デフレ>
■FRB <国債> → <デフレ> → <成長>
まず日銀の論理でありますが、「生産性の引き上げを通して潜在成長率を強化することと、高齢化のもとでも持続可能な財政構造の確立」がまずあって、その結果としての<デフレ>脱却があると言う立場であり、<デフレ>はあくまで「結果」にすぎないと言うものであります。
これに対してFRBは、全く違うのであります。
「目的」とするのは<成長>であります。このための、<デフレ>退治であり、回避であるのであります。そしてそのための、「創造的金融政策」、QE(量的緩和)としての「国債」買取であったわけであります。
これがものの見事に成功したと言うことであります。
すなわち、白川総裁の「人々は将来の財政状況への不安から支出を抑制し、そのことが低成長と緩やかなデフレの一因になっている」と言うデフレを結果とする論理構造が、ものの見事に粉砕されたのであります。
そこで、問題であります。
なぜ、日銀は、いつまでたってもこの「立場」を変えようとしないのか?
もちろん日銀法改正で、この変えようとしない人間に「脅し」をかけると言うのも「あり」ではありますけれども、そもそもにおいて、なぜいまの「立場」に拘るのかであります。
それは、じつは、「責任」を取れないからであります。だれに対してかと言えば、それが具体的にはかの財務省と言う「システム」側に対してであります。
彼らは、日銀の独立性なんてこととは、まったくもって関係なく、予定調和的に「官僚機構」の「論理」の中に組み込まれてしまっているのであります。これはいわば、彼らの行動原理として、「支配なき被支配体制」と言う「システム」側を支えている、偽りの「正統性」に支配されてしまっているってことの、完全なる「証明」であります。(ひたすら金利の恐怖から逃れようとするってことです)
ここでもまた、偽りの「正統性」であります。
本来において、日銀総裁がまず「責任」を持つべき相手とは、他の誰でもない「国民」に対してであります。議会の承認を受け就任したわけでありますから、これは当然すぎて当たり前の、当然のことであります。
しかし、これを彼らは、まるでなかったかのように「無視」してかかるのであります。
かような環境にして、はたして、「武者リサーチ」がレポートするとおりの展開があるやなしや、であります。
それはしかし、「武者リサーチ」のとおり、もはや「市場」と言う「正統性」が、これ以上の「拘り」を許さない。
よくよく考えれば、これは「対米従属批判」の構造と、まったくもってして、同じであります。
すなわち、間違っているのは「米国」であるとの主張であり、米国の「金融」偏重、「グローバリズム」批判に名を借りた、「システム」側の生き残り戦略そのものだったのであります。
これが、今回見事なまでに粉砕された。
確かに、米国も悪い。悪いけれども、それなりに「正しいこと」をすれば、うまくいく。
それなのに、なんで日本は、20年以上にわたってうまくいかないのか。
この責任は、どこにあるのか?
いまようやくにして、この偽りの「正統性」これ自体の問題が、焦点として問われる事態に至ったことを、近年まれにみる慶賀とすべきであります。
ここで着目すべきは、「情報戦とは−−孫子の兵法応用編」的展開であります。
すなわち、「武者リサーチ」攻撃であります。
ここしばらく、BLOGOSがこれでにぎわうことを楽しみにするのであります。 KAI