いかがでしょう?
KAIとしては、してやったりであります。
すでに、前回書いたとおりであります。慎太郎が、いかなるレベルで行動を「スタート」させていたか、彼はすでに決心していたのであります。【ワシントン=石元悠生】東京都の石原慎太郎知事は16日午後(日本時間17日未明)、ワシントン市内のシンクタンクで講演し、「日本人が日本の国土を守るため、東京都が尖閣諸島を購入することにした」と述べ、尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島を個人所有する地権者と交渉を開始したことを明らかにした。
代理人を通じて詰めの交渉を続けているといい、基本的な売買の合意はすでに得ているもようだ。購入後は、沖縄県や石垣市に共同所有を提案する考え。
(東京都が尖閣諸島購入へ ワシントンで石原知事が明言「日本人が日本の国土を守る」)
この渡米前の成田での石原の発言はさらに、シナリオはおれが書く、こう断言していたのであります。そうです、慎太郎にとって、既存の政党の有り様では、この自分の、一生最後の「夢」をかなえられない。彼は、こう自覚したのであります。
(石原慎太郎はオトコであります)
いよいよ、この「シナリオ」、慎太郎劇場の、スタートであります。
劇作家にとって、最高のシナリオは、そのシナリオどおりの、役者に出会うことであります。
と、このお話の、その前にであります。
これは、昨年6月、バルセロナで村上春樹が行ったスピーチの内容の、あまりの「愚かさ」に、KAIは怒りさえ覚えて書いた文章であります。「効率」を否定するのも、結構。
しかし、だからといって、「非効率」社会にいまから戻すことが例えできたとして、そんな社会が成り立たないことくらい、考えろよ。そんなこと、バルセロナに飛行機ではなく貨物船にのって往復してから言えばいいのであります。
そうではなく、彼ら、職業的作家たちがまずてがけるべきことは、もっと高次の作業、すなわち、「新しい倫理や規範」=「反原発や反効率」などといった「ふるぼけた」イデオロギー的恒等式を超える、もっと目の覚めるような「非現実的」恒等式の創造とこれを言葉にすることをおいて、本当の意味の(思考する)「作家」にしかできることはないのであります。
(バカはいかに思考するのか−−実証研究編(2))
これを、石原慎太郎がしっかりとやってくれようとしている。もっと目の覚めるような「非現実的」恒等式の創造とこれを言葉にする
そして、これを言葉にすると、こうなるのであります。
んん?わからんって?「新しい倫理や規範」=「国家の権利と個人の責任」
ご説明しましょう。
石原は、さきほどの、米国「ヘリテージ財団」での講演で、こうも発言しているのであります。
これをどうやって「変革」していくか、この「シナリオ」こそが、今回の一連の「行動」となって現れているのであります。(今の日本国憲法が)国民は権利意識は強いが、自分の責任は意識しないという、非常にいびつな国民のメンタリティーを作ってしまった。(( )内は引用者注)
(産経新聞、石原知事「憲法破棄を」、ワシントン=石元悠生、2012/4/18、p.2)
まず、「国民の権利意識は強い」に対して、これを否定するのではなく、併せて「国家の権利」意識も強くしようよ、であります。これが、「尖閣諸島購入」であり、領土と言う究極的国家の権利の主張であります。
またぞろ、病的リアリストがお得意のレトリック「中国を刺激して何の国益があるのか」を叫ぶでしょうが、気にする必要はないのであります。
これは別に、中国様さまに向けたメッセージではなく、「自分の責任は意識しない」日本の国民一人ひとりに向けたメッセージなんであります。
そこで、「国家の権利と個人の責任」のなかの、「個人の責任」であります。
「個人の責任」とは、個人の「政治」および「贈与」への参加であります。
「政治」に参加しようよ。「政治」でなければ「贈与」すなわち「ボランタリ」でもいいんだよってことであります。(東京マラソンの非常に多くのボランティアに彼はいつも感激している)
そして、この「政治」への参加と言う、巨大なる「うねり」を、石原は、「大阪維新塾」に見出したのであります。
そしてそして、この「シナリオ」どおりの役者、「橋下」の登場であります。
もはや、この幕の開いてしまった石原劇場、何人たりともとめることあたわず、であります。
いかなるドラマとあいなりますやら、まことに、楽しみであります。 KAI