前回、佐和隆光の、「サービス化経済入門」から引用してのご説明を申し上げたのでありますが、時代はさらに進んでいるのであります。
すなわち、サービス化からアプリケーション化であります。
これをもっと言えば、こうなっているのであります。モノ→サービス→アプリケーション
これをアプリケーション価値の公式と呼ぶのでありますが、それぞれが持つ「価値」の比較式となっているのであります。モノ < 貨幣
サービス = 貨幣
アプリケーション > 貨幣
ここで言うマッサージ型サービス業が従来どおりのサービス業として残っていくのでありますが、メッセージ型サービスがそのまま「アプリケーション化」するわけではないことにご注意いただく必要があるのであります。すなわち、人月商売をしている情報産業は、やはり「マッサージ型サービス業」のまま、従来どおりのサービス業にとどまっていくと言うことであります。吉川弘之東大教授は、情報によって受け手に間接的効果を引き起こすものをメッセージ型サービス、直接的効果を引き起こすものをマッサージ型サービスとして、サービス業を二分類することを提唱されている。
(ソフトセクターとは)
では、「アプリケーション化」とは、具体的にどのようなものを言うのか、これを具体的事例でご説明するのであります。
そうです、「キュレーション」こそ、「アプリケーション化」の象徴的存在となるのであります。佐々木俊尚さんの「キュレーションの時代」売れているようです。
先週まとめを書きましたが、味わい深い本なので、少し掘り下げてみたいと思います。会社で「キュレーション」や「キュレーター」の議論をすると、必ず出てくるのが、「そんなこと、編集者はずーっと前からやってるよ。編集者とどう違うのか?」という疑問です。本を読んで、個人的にその違いを考えてみました。
キュレーターのいちばんの定義は、情報に意味や文脈(コンテクスト)を付与することだと言われていますが、この点は、編集者も行っていると思います。これは元編集者の端くれの一人としても、ちょっと譲れない点です。その点では、キュレーターと遜色があるわけではないと誇りたい。(ジャーナリストとの違いとしてなら納得です)
その前提においても、その点以外では、結構な違いがあるのではないかと考えています。
(私が考える、キュレーターと編集者の7つの違い。)
しかし、誰もが「キュレーター」となるわけでもないのであります。「キュレーション」はあくまで「アプリケーション化」が100万通りあるうちの、ほんの一つのパターンにすぎないのであります。
では、もう少しこれを俯瞰しやすい事例はないのか、と言うことで、以下またまた次回に続くのであります。 KAI