手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る

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あたらしい年を迎え、等しくまたひとつ歳を重ねるのであります。そんな年男KAIの昇龍運を、本年はみなさまにおおくりするのであります。

その第一弾が、この言葉であります。これは、このKAI_REPORTの先日のエントリー「ジョブズはなぜ人の胸を打つのか?」の中で取り上げた野口芳宏氏の著書の中の一節であります。

「利他の心」こそが子どもを幸せにする

著者は、国語の「授業名人」と呼ばれ、50年以上教育現場で仕事を続ける、教育界のカリスマにして、プロ中のプロ。74歳の現在も大学の教壇に立ち、全国の研究会、講演会に引っぱりだこです。
本書は、「不断に学びつつ幸福に生きるために、いちばん大切なものは何か」、「人を教える者に必須の条件とは何か」等、教育と生涯学習の根本・本質・原点を真正面から問い直す、著者渾身の一冊。
「正論を自信を持って断言できる」大人が絶滅寸前の昨今、著者が堂々と展開する背筋の伸びた正論には、読んでいて快さを感じます。
中でも、「良き人生観とは、利他の心に尽きる」と明確に定義し、「手に入れたものはすべて失い、与えたものだけが残る」と語る「よき人生観の確立を」の章は圧巻。長い人生経験に基づいた珠玉の言葉の数々は、我々が自らの足元を見つめなおすべきこの世相の中でこそ、いっそう輝くものでしょう。
利他の教育実践哲学、小学館、野口芳宏、2010/7/20

実は、このエントリーをここにアップして以来、この言葉をテーマにあれこれレポートしたいと思いながら、なかなかこれが筆がすすまないままになっていたのでありますが、この記事を読んでピンときたのであります。

これからは、会社という組織が逆に膨れていくか、どんどん崩壊していくか、その両方がこれからどんどんこの今後の50年間で起こってきます。それで重要になってくるのが、これは日本経済新聞に載せた記事なんですけれども、会社と個人、あるいは自分のキャリア、仕事と個人というバランスシートがあって、日本の特に若い人に強く言いたいんですけれども、勘違いしているのは、若い人が特に勘違いしているのは、自分は会社とか仕事から得るものだけ得て、一番得た時点で次のステップに移っていくのがキャリアアップである、と。実はこれ大きい間違いでして、自分が与えたものと相手からいただいたものの中で、相手にあげた方の大きい場合に、次の仕事につながります。これはアメリカとかヨーロッパの契約社会で非常に重要な考え方で、得たものよりも与えたものの方が多いことが大切なんです。それでこの人間は優秀であるという名声が広がって、きちんとしたお給料なり、それに対する対価をいただいて、次の仕事をもらうという仕組みを作るのが、実はプロとして非常に大切なこと。なんか高校の話みたいですみません。プロの皆さんを前にして。ただ、非常にその基礎が日本に帰ってきて成り立っていないのでびっくりしました。
いつ来るか分からない15分のために常に準備をしているのがプロ、デザイナー奥山清行による「ムーンショット」デザイン幸福論

この記事は、たまたま読んだ佐別当隆志さんのブログの「失敗体験を語れるようになること」の中で教えていただいたものでありますが、なるほどこれはウチダ先生がよく言う「オーバーアチーブメント」問題であります。

この問題に関し、KAIのサラリーマン時代を含めた長い経験から言えることがあるのであります。

それは、「オーバーアチーブメント」の人間はその業績に比して給料への文句をまったくと言っていいほど聞かないのに、「アンダーアチーブメント」の人間は100%、その給料の多寡に拘るのであります。いわゆる「金にうるさい」のであります。

そのわけは、なんとなく理解したつもりでいたのでありますが、先ほどの奥山清行氏の発言からこれがより鮮明になったのであります。

すなわち、「オーバーアチーブメント」人間にとってその給料を増やすことは、与えたものから得たものの差である「利益」を減らすことになり、自分の次の仕事にとって何のメリットもないと言うことであります。これに対して「アンダーアチーブメント」は、すでにあるのは「利益」ではなく「損失」であると言うことであります。つまり彼らが給料と言う「得るもの」に拘るのは、端からこの「利益」と言う「のりしろ」を持っていないためだったのであります。

ただここで重要なことは、「得るもの」とは決して「給料」などと言う金銭的価値ではなく、それとまったく異なることを問題にしていると言うことであります。

「得るもの」としての「給料」の価値に対応する「与えたもの」の価値とは、通常「労働」と言う時間的定量的価値に他なりません。

しかし、今回とりあげた表題の言葉も、奥山清行氏の講演も、決して給料の問題ではないことは自明であります。

そうではなく、「得るもの」も「与えるもの」も、金銭的価値とはまったく次元の異なる価値、社会的有用性価値すなわち「アプリケーション価値」であるのであります。(アプリケーション価値については「Fusion-ioが考えるイノベーションはとってもシンプルかつプリンシプル」を参照)

すなわち、人と言うものは、仕事においても教育においても、その社会的有用性の方法とその意味をその活動を通して「学び」、「授け」、これを「実践する」ことをその目的とするのであります。

この意味において、人が「手に入れたもの」とは、その人に「与えること」の意味である社会的有用性をすべて失うのはもっともであり、これを人に「与えたもの」である社会的有用性、すなわちあなたの「信頼」のみが残ることになるのであります。

これは決して、貨幣価値のようなモノ対モノの方向性のない価値観では起こりえないものであり、人間対人間と言う方向性のある価値観である「アプリケーション価値」の時代になって初めて人の生き方そのものを、決定的に変えていく「考え方」であり「哲学」なんであります。

そして、ここで言う「方向性」のあるなしこそ、きわめて重要となるのでありますが、お話がややこしくなってきましたので、ひとまずこれで今年はよろしくお願いするのであります。 KAI