世界柔道惨敗−−なぜ日本柔道は進化できないのか?

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2009年世界柔道。KAI_REPORTのエントリーを再掲するのであります。

既得権にメスを入れないと、なぜダメなのか。今回の世界柔道男子メダルなしが、端的にこれを示しています。

棟田康幸。男子100kg超級、3回戦。ドルシュパラム(モンゴル)に後ろから襟首を掴まれたまま倒れこんで受身ができず左腕を脱臼。そのまま痛々しい中、4回目の指導で反則負け。

穴井隆将。男子100kg級、準々決勝でエルマル・ガシモフ(アゼルバイジャン)に隅落としで一本を取られる。隅落としなんて体のいい名前をつけているけれど、要するに力で振り回されて、これも柔道着を後ろから引っ張られて背中をつく。

二人とも、まるで柔道の型になっていない。しかし、いまやこれが世界柔道、「JUDO」の本質なのです。
(中略)
この持久力のために、後輩を肩に襟巻きのように横に担いで30分のマラソンを、オリンピックまで毎日繰り返す。尋常な努力ではないのであります。

この彼の努力に、柔道界は、何を報いたか。よりにもよって石井を追い出してしまったのです。石井の無念が、手に取るようにわかります。しかし、神は見放さない。今回の世界柔道の結果こそ、日本柔道界と言う既得権者に対する「天誅」以外の何者でもありません。

いま柔道界が生き残るために、何ができるか。例えば石井慧を特別強化コーチに迎え入れるなんて、「既得権」からして、まったくあり得ないことであることは、簡単に理解できます。かように、「既得権」とは、強固にして堅牢なる存在であるのです。

この「既得権」を打ち破って、「柔道」を新しい「JUDO」に作り変えていくためには、あと何回かの世界選手権での惨めな敗退を繰り返すしかありません。

既得権者から見れば、「JUDO」は、正統である「柔道」の破壊者。しかし、「柔道」の進化形こそ「JUDO」です。棟田も穴井も、技を決められてもなお柔道着を強く引きつけ最後の最後までどんな体勢になっても切り返しの技を仕掛けてくる、型破りの「JUDO」に完敗したのです。「JUDO」にとっては「型破り」も「型」の一つ。これに「柔道」が対応できていない。
世界柔道惨敗は既得権問題の象徴

この惨敗のあと、彼らがとった対策が、これまたお笑い種以外の何者でもなかったのであります。

なんと、足取り禁止と言う「ルール変更」。

これでかろうじて、世界柔道2010年東京大会、100kg以下級で穴井隆将、無差別級の上川大樹以下金10個と、開催国の面目を保つことができたかにみえたのでありますが、実態はまるでそうではなかった。

2011年パリ世界大会は、日本柔道が2009年ロッテルダムの結果から、何一つ学ぶことができなかったことが、もののみごとに証明されたのであります。

 2012年ロンドン五輪の前哨戦となる柔道の世界選手権が28日に6日間の幕を閉じた。日本代表は個人戦の男女7階級で昨年大会の8個(無差別級を含むと10個)から男子2、女子3の計5個の金メダルに終わり、来年の本番に向け、課題が見えた。

 男子代表の篠原信一監督は重量級の惨敗で尻すぼみに終わった大会を振り返り、「重量級は厳しい。オレが出ようかと思ったくらいだ」と怒りの表情。女子代表の園田隆二監督は「4個はいけると思っていた。合格点には及ばない70点」と気を引き締める。世界選手権代表枠の「2」から五輪代表枠は「1」に絞られ、選手間の競争は今後激化を増していく。果たしてロンドン五輪で金メダル量産となるのか――。
(中略)
 個人戦最終日の終了後、通路に篠原監督の激しい声が響き渡った。監督自ら「負けられない階級」と語る重量級。上村春樹が金メダルを獲得し、山下泰裕が一時代を築いた。斉藤仁が危機を救い、篠原、井上康生、鈴木桂治と引き継いだ系譜。北京五輪では石井慧が金メダルを獲得した。
 ところが今大会の100キロ超級では、昨年の無差別級世界王者上川大樹(明大)がまさかの1回戦負け。昨年の100キロ級世界王者で男子唯一の世界ランク1位、穴井隆将(天理大職)も3回戦で散った。重量級2階級4選手はベスト8にさえ進出することはできなかった。メダル獲得どころか大惨敗だ。

 篠原監督の怒りの矛先は、覇気のないホープ・上川に向けられた。「なんでアイツはあんなに意識が低いんだ。腹立たしさがある。いつもヘラヘラしやがって」と吐き捨て、「もう強化したくないけど、そういうわけにはいかない。気持ちを入れかえるならトコトンやってやる」と奮起を促した。まな弟子・穴井に対しても同様だ。腰が引ける戦いに「ひと言で言えば、アイツはビビリ。なんではあんなビビリなんだ! 今回は自信を持てる稽古ができてなかった。これから徹底的にやりますよ」と鬼になることを宣言した。

 目を光らせていたのは結果以上に、勝ちにいく姿勢であり、戦う気持ち。心技体で言う「心」の部分だ。実際、100キロ超級で3回戦敗退した鈴木桂治に対しては「金メダルをとらないとダメ、現状ではきつい」と話す一方、「意地は見せたし、気持ちは見える。現時点で持っている力を出しきった」と、おとがめはなかった。

■81キロ級代表は白紙 軽量級の活躍は収穫
 怒りに震えた個人戦最終日。引き金となったのはその前々日、3日目の81キロ級にある。高松正裕(桐蔭学園高教)が初戦敗退、中井貴裕(流通経済大)は4回戦でなす術なく敗れた。「中井は技をかけない。いつかけるんだ! 勝つ姿勢を見せてくれ。高松もケガが多いなら使わない。出るだけじゃダメ。気持ちが見えないなら代える!」と篠原監督は今大会で初めてカミナリを落とした。そしてついに「情けない。ふがいない。81キロは見直したい。同じ負けるならもっと元気のいいヤツを使う」と代表を白紙に戻すことを明言。世界選手権の代表2人から五輪代表を1人に絞る方針を撤回した格好だ。
(中略)
 ロンドン五輪まで残り11カ月。篠原監督は「最後は気持ち。そのためにも『これだけやったんだ』というこれまで以上に厳しいトレーニングが必要」と語り、園田監督も「これからも厳しくやります。金の確率を少しでも上げていきたい」と続ける。金メダルが義務づけられる柔道ニッポン。世界一の練習量で世界一強い「体」と「技」、そして「心」を鍛え上げる。
世界柔道で見えたロンドン五輪への課題 重量級惨敗で激怒の篠原監督「最後は気持ち」

いつまでこんな精神論を続けるのでありましょうか。

どうすれば勝てるか、せっかく石井慧が教えてくれているにもかかわらず、日本柔道界は石井慧も「足取り」で金メダルをとったと、とんでもない勘違いをしているのであります。

「JUDO」の本質とは、何か。

しかし、「柔道」の進化形こそ「JUDO」です。棟田も穴井も、技を決められてもなお柔道着を強く引きつけ最後の最後までどんな体勢になっても切り返しの技を仕掛けてくる、型破りの「JUDO」に完敗したのです。「JUDO」にとっては「型破り」も「型」の一つ。

篠原が「中井は技をかけない」と怒るけれど、中井は技を「かけない」のではなく、技をかけたくても「かけられない」のであることに、なんで気づかないんでありましょうか。

どの外国選手も「最後の最後までどんな体勢になっても切り返しの技を仕掛けてくる」から、この練習を積んできてない日本人選手には、技をかけにいくこと自体が自殺行為に思えてくるのであります。

上川や穴井の試合を見ていても、この彼らの気持ちが丸見え。真剣勝負、こんな情況で勝てるわけないのであります。

これを石井慧、智恵と持久力で克服した。

その「智恵」とは、石井ちゃんタイムと言う、きわめて冷静な観察であります。

その一つは、レスリングや相撲の技を次々と取り入れているヨーロッパの「JUDO」対策です。それは一本による勝利ではなく、ポイントによる勝利と同義です。ポイントで勝っても勝ちは勝ちです。ヨーロッパの選手は、寝技に入る前のところからでも投げを打ってくるように、どんな体勢でも技を仕掛ける練習を積み重ねています。組み手ではなく、相撲のとったりのように足を取りに行く練習を、何度も何度も繰り返している。

これに対抗するには、同じ技を石井から早め早めに仕掛けていく。しかし決して技をかけない。すると相手は受けるしかなく、やがて「指導」をとられる。わずか1ポイント。これが後半に効いてくる。

そのまま二つ目の特訓に繋がる話です。石井は、5分の試合時間に、ヨーロッパの選手が3分たって急にパワーが落ちることに気づきました。それなら自分は5分パワーを維持できれば、試合に勝てる。試合開始から3分後「石井ちゃんタイム」のスタートです。この時間に技を掛けに行く。すでに指導で1ポイントリードされている相手は、更に苦しくなる。まさに、1ポイントでも勝ちは勝ちの勝利です。
ものごとの本質を理解すれば君は勝てる

技を先手で仕掛けてポイントを先に取るのもそうですが、3分経った後の勝負を前提にする試合展開。篠原は、怒る前に、まずもってこれを指示しなければ、監督の資格はないのであります。

しかし、ここでもっとも重要なのが「持久力」。

この持久力のために、後輩を肩に襟巻きのように横に担いで30分のマラソンを、オリンピックまで毎日繰り返す。尋常な努力ではないのであります。

上川や穴井も、これをやれば間違いなく、勝てる。

別に上川や穴井の「練習量」が、不足していると申し上げているのではないのであります。おそらく、人一倍の練習をこなしてはいることは、まず間違いないのであります。

問題は、その中身であります。

この中身を理解するために、「足取り禁止」と言うルール変更で何が起きたのか、まずはこれを理解する必要があるのであります。

そもそも「足取り」とは何か。と言うか、レスリングのタックルと何が違うのか。

もちろんやってることは同じでありますが、柔道では「足取り」は数ある「型」の内の、一つの「型」。これに対してレスリングのタックルは、「型」以前の基本中の基本の「技」。

ですから、レスリングで最初からのタックル禁止なんていったら試合にならない。

ここがポイントなんであります。

すなわち日本「柔道」では、「足取り禁止」によって「型」が減ったと考え、「JUDO」ではそうは考えなかったのであります。

確かに東京大会では、これで金メダルを取るには取れた。けれども、これは単に「JUDO」側の対応が間に合わなかっただけのことで、実は「足取り」にかわるあらたな「型」が次々と開発されていったのであります。

ただこれが「柔道」ではまさに型破りとして、「型」と認識しないから、対応できない。まさに免疫をもたないウィルスとの戦いのようなものであります。

実は、この「免疫」となるのが、石井慧の編み出した「後輩を肩に襟巻きのように横に担いで30分のマラソン」だったのであります。

この練習、こんな、カッコつきのひとことで言えるような簡単な代物ではないのであります。

70キロ前後の体重を30分間走りながら支えてバランスを取る。想像を絶する練習なんでありますが、この30分間70キロの体重こそ、外国選手が繰り出す「JUDO」と言う型破りの「型」となるのであります。

これがあるから、実戦の5分間の組み手は、こわくもなんともない。逆に面白いように自分から仕掛けていくことができるのであります。

これこそ、本来の正統「柔道」の進化形。

ただ単に、この種類の「型」の練習が、できていないだけのこと。

日本柔道惨敗の本質は、まさにここにあるのであります。

とは言えしかし、石井慧を追い出すような日本柔道界が、これを受け入れ自ら改革に乗り出すなどとは期待できるはずもなく、何年もの惨敗を繰り返して「精神論」ではもはやたちうちできないことを思い知る以外には、打つ手はないとしか思えないのであります。 KAI